水沼文平さんを偲ぶ(その2)

先月に亡くなられた水沼文平さんは、私より1歳若いが、今の時代にはめずらしい人だったように思う。仙台に育ち、仙台の高校の柔道部、大学卒業後は、教科書会社の営業部に所属し東北や北海道地区を担当していた。定年後は中央教育研究所の所長として、研究所の活動を活発化させた。大震災後の東北の学校への支援に理事会・評議員会のメンバーが多数駆けつけ講演・授業を行ったのは、水沼さんの陰の力があった。理事会・評議員会は、日本の教育関係者の錚々たるメンバーが集まり、水沼さんの発案で、単なる事務的な会議だけでなく、各自の研究報告(50分講義、7分スピーチ等)や議論も行われ、有意義な会であった。研究所のさまざなな研究プロジェクトの会合に、水沼さんは顔を出され、事務局としての節度は守りながら、研究を支えていた。

我々の「教育調査研究会」(旧教科書研究会)の2か月に1回くらいの割合で開催される研究会にも毎回出席され、調査の実査の便宜を最大限計って下さり、データ分析の為に開催した合宿(軽井沢、河口湖、湘南)にも、毎回参加され、有益な示唆を与えてくれた。研究会の若いメンバーの就職のことなども親身に心配してくれて、就職が決まると、わが子のことのように喜んでくれた。大変な読書家で、合宿では、暇があれば本に目を通している水沼さんの姿があった。司馬遼太郎のファンで歴史ものをよく読んでいたようであるが、ミステリ小説も好きで、その読書の幅は広く、カズオ⊡イシグロの本も全部読んでいて、その読後感を話し合ったことがある。

一度、河口湖で開いた私の敬愛大学のゼミ生との合宿に、水沼さんが参加され、粗野な(?)私のゼミ生の騒がしい行動に水沼さんの雷が落ちるのではないかと心配したが、その反対で、敬愛の学生の人のよさに水沼さんは感激し、その後研究所に学生を招きごちそうまでしてもらったことがある。水沼さんの人間性、包容力の広さに感心した。

風貌は古武士のようで、高倉健を思わせた。水沼さんが風を切って歩いていくと人が避けて通るという感じであった。それでいて、誰に対しも温かい眼差しを向け、困っている人がいると相談に乗っていた。「一つの時代が終わった」という浜崎あゆみのDUTYの一節がうかぶ。

研究所の我々の報告書「高校教員の教育観とこれからの高校教育」2018年にもコラムを寄せていただいた。(www.chu-ken.jp/pdf/kanko92.pdf 添付参照)

水沼さんの突然の逝去には、研究会のメンバーにも衝撃が走った。それは寄せられた下記のようなコメントからわかる。水沼さんへの追悼になればと思い、一部掲載させていただく。

「水沼前所長さまの訃報に接し、ただただ、人の命のはかなさを痛感している次第です。冥福をお祈り申し上げます。昨年、ちょうど今頃、私たちの研究会が宮教大であり、ご参加していただきました。お父様が仙台市の広瀬小学校の校長先生で、この学校が「生活つづり方」運動の1つの実践校であったことなど話しながら、楽しいひと時を送らせていただきました。寂しくなりました。」(K), 「水沼さん 早すぎますよ。まだまだこれから折に触れお会いできると思っていたのに。 福島でお世話になったこと、軽井沢での研究会など、思い出すこと数限りありません。 また、どこかで会えると、などと思っています。 安らかにお過ごしください。」(A) 「独特な個性ゆえ、初めはとっつきにくい印象がありましたが、次第に味のある暖かいお人柄であることが分かりました。水沼さんのお父様が地元で設立された幼稚園のことを知り、水沼さんと教育現場との縁を改めて感じた次第です」(J),「言葉が見つかりません。まったく存じませんでした。無念。とにかく悲しいです。彼の堂々たる容姿や浮き足だった心を落ち着かせてくれる力強い声や鋭い中に柔らかく輝く暖かい眼差し、今思い出しながら涙を振り払っています。なにかの間違いであって欲しいと理不尽な思いに囚われています。」(K)、 「院生時代から、ずっと、お世話になり、突然のお別れに、今はとても悲しく、言葉が出せないくらいです…。心からの感謝と、ご冥福をお祈り申し上げます。」(I)、「水沼様の訃報,驚いております.仙台つながりで大変かわいがっていただき,久しくお会いできず,ご恩返しもできないままで残念でなりません.ご冥福をお祈りしております.」(S), 「信じられない思いでいます。皆様とご一緒に研究会や「鬼平」で貴重な時間を、さらには軽井沢、河口湖、鎌倉などでの合宿、沖縄始め各地での学会発表の折りにたいへんにお世話になりました。そして、水野先生の「命の授業」も特別に見学させていただきました。本当に残念ですが、これまでのご指導に心より感謝申しあげ、ご冥福をお祈りいたします。」(S),「学会、研究会で多くのことを教えていただきました。何とも言えない気持ちです。水沼さんからは4月にメールをいただきました。この2か月で何があったのか、わからないのですがただただ残念です。」(H)、「あまりに突然すぎて、言葉もありません。ご冥福をお祈りいたします。」(T)、「水沼さんの訃報に接し、いたたまれない気持ちです。沖縄の大会にまでおいでくださり、常に研究・発表を見守ってくださった姿が印象的でした。ご冥福をお祈りいたします。」(N)、「メイルを1週間ぶりに開いた 次第です。水沼さんの逝去、あまりにも突然で言葉もありません。研究会の折に皆さんと水沼さんを偲びたいと思います」(O)、「本当に残念なことです。あの元気な姿は記憶に鮮明に残っております。人間の寿命や命のはかなさなど、いろいろ考えさせられます。」(K), 「水沼さんの訃報のお知らせ、突然すぎてやはり言葉をなくしました。73歳とはまだまだお若く、信じられません。水沼さんのことはたくさん思い出されます。ご冥福をお祈りさせていただきたいと思います。」(O)