歴史の跡

NHK大河ドラマなどで扱われた歴史跡は、多くの人が訪れ有名になるが、そのようなものでなくても、歴史に詳しい人からみると、歴史的に重要な跡が各地にるようだ。興味をそそられる。仙台に住む水沼文平さんから、下記のようなメールをいただいた。

<歴史好きの友人から話があった「堤町(つつみまち)に城下町と在郷の境目を表す何かがある」という「何か」を調べてみました。
家から歩いて15分くらいなので行ってみましたが何も見つからず、ネットであれこれと当たっているうちにとうとう発見しました。(ネットには何でも入っていますね。驚きです。)
地下鉄北仙台駅の脇の道路(旧陸羽街道)を日浄寺を左に見て坂を上り、下ること200メートル、旧国道4号線と接するところに「御仲下改所跡(おすあいどころあと)」の看板が立っています。
御仲下改所とは「おすあい したあらため どころ」が正式な呼び方のようです。「仲(すあい)」とは物品売買の仲介を業とする者、または,その仲介料を意味します。
江戸時代、ここは城下町に入る北の入り口だったところです。今で言えば「税関」のようなところで、他領および領内に移出入する商品に課した取引税を徴収していました。人ではなく物流に対するチェックポイントですから、厳密には番所(仙台藩では関所のことを番所と呼ぶ)とは異なりますが、「丁切根(ちょうぎんね)」という柵には木戸が設けられており、この場所が仙台城下町の北の関所と考えてもいいようです。
「御仲下改所」は仙台城下の東西南北(堤町・河原町・原ノ町・八幡町)に設けられていましたが、堤町以外で「御仲下改所」があった場所に関する史料がなく確認されていません。
「御仲下改所」の近くに「堤焼き・佐大ギャラリー」があります。堤町は仙台城下北辺の警固のため配置された足軽町で、内職として始まった堤焼や堤人形などの焼き物の町として知られています。当ギャラリーには水瓶、瓦、人形などの陶器が展示され、市内に唯一残る登り窯が保存されています。
私が住んで場所は昭和初期に宮城郡七北田村から仙台市に編入されました。藩政時代は「荒牧」という地名で、伊達藩の軍馬の牧場があった所です。北山・台原・東照宮を結ぶ線の南側が城下町でその北側は「在郷」ということになります。堤町は中学校時代、クラブのマラソンコースでした。当時は「御仲下改所」の建物も残っていたはずですが全く記憶にありません。
仙台は桜も終わり、ツツジが咲き始めました。これから本格的な青葉・若葉の季節を迎えます。>(水沼文平さんのメールより転載)