村上春樹『一人称単数』(2020)を読む

ネットのおかげで助かっていることがある。その一つが、本や映画やドラマの感想を、ネットで見ることが出来ることである。以前であれば、それらを読んだり見たりしてのわからない箇所や、自分の感想が特異なものなのかどうかを確認するためには、誰かにそれを読んだり見たりしてもらったりしなければならなかった。今はネットで検索すれば、すぐ他の人の感想を見ることが出来る。 今回村上春樹の最新刊の短編集『一人称単数』(文藝春秋、2020.7)を読んで、久しぶりに村上ワールドに浸った心地よさと、わけのわからないモヤモヤ感を抱きながら、その理由は何だろうと思ったが、ネットで他の人の感想を読んで、そのいくつかは解消した。それを転載しておきたい。全体には、村上ファンは同じように感じるのだなという印象。

・7つの短編が収められた作品集。どれも村上春樹ワールドがいっぱいで長編にはない楽しさが詰まっていて面白かった。ほとんどの作品に共通するのは、主人公に絡むユニークな女性。村上さんにしか出せない独特の人物像でした。それと、これも全てに出てくる音楽。ジャンルはクラシックからジャズ、ビートルズまで様々だが、物語にぴったりと溶け込んでいてベストマッチでした。歳を重ねてもその作品世界にあまり変化はなく安心した。良い作品集でした。 

・『一人称単数』というタイトルからは私小説のようにも受け取れるが、おそらくそうではないだろう。読者を煙に巻くようなユーモアやウイットに富む独特の文体。忘れ去ってもよいようなたわいもないエピソードから導き出された物語の深さ。私たちは彼にナビゲートされ、いつしか自分も心の深奥へと降りてゆき、ともに懐かしみ、痛みを分かち合い、そしてそれが記憶に鮮明に残る意味を考える。人は皆「一人称単数の私」として存在し、人生の分岐点で様々な選択を強いられる。その記憶の断片から、今ここに存在する私とは何者かを問いかける短編集だ。

・久しぶりの春樹さん短編集です。期待どおり、健在なハルキワールドにしっかりと仕上げてくれています。8編からなりますが、どの話も春樹さんならではの不思議さ、世界観がこのうえなく凝縮されています。やはりなんと言っても「品川猿」が登場したのがハルキストには堪らないですね。

・私小説のような短編集。好きな音楽、応援している野球チームなどはきっと本当なんだろう。だけど、途中からフィクションが混じって本当との境が見えなくなってくる。自分視点で語られること、自分視点だけで完結すること。それが一人称単数なのだろうか。表題作の普段なら着ない服を着ることでの違和感、些細な出来事で見える景色が変わることはわかる気がする。時折訪れる理不尽な虚無感とそこで感じる揺らぎを隠さず見せることもまたこの作品の魅力だと思う。相手の真意はわからないままでも。「東京奇譚集」の続編が読めたことも嬉しかった。

 ・ふしぎな読後感 。途中でこれは小説じゃなくて、 本当にあった話 なんじゃないかって 疑いたくなるような 一人称による小説。 私は好きだったのは、品川猿。 品川猿は群馬県にいるんだって。 やはり村上春樹さんの小説は、ゆっくりと一人で、コーヒーでも飲みながら読むと、2倍も3倍も楽しいよね。  

・「月並みな意見かもしれないが、僕らの暮らしている世界のありようは往々にして、見方ひとつでがらりと転換してしまう。光線の受け方ひとつで陰が陽となり、陽が陰となる。正が負となり、負が正となる。そういう作用が世界の成り立ちのひとつの本質なのか、あるいはただの視覚的錯覚なのか、その判断は僕の手には余る(「謝肉祭Carnaval)より)」そんな手には余る世界は(つまりは春樹の小説は)、今日も謎を生み、だからこそ生きる(読む)に値するのだろう。(https://bookmeter.com/books/16082299?page=1

短編集の最後にあたる「一人称単数」では、終盤、語り手「私」は、ある女性から糾弾されることになる。「私」が「洒落たかっこうをして、一人でバーのカウンターに座って、ギムレットを飲みながら、寡黙に読書に耽っていること」を指して、「そんなことをしていて、なにか愉しい?」と。この気取った「私」の振る舞いは村上春樹的なイメージを戯画化しているようであり、したがって、女性の批判は村上春樹そのものへの批判にも思える。その点が面白い。 ( https://news.yahoo.co.jp/ )

追記 

村上春樹は、好き嫌いや評価が分かれる作家である。「こういう小説を書いて、村上春樹自身は救済されるんですかね、やっぱりこの人はサクセスを求めているだけなんです」(小倉千加子)、「九百枚に伸ばせるような力量が何もない」(上野千鶴子)、「美人ばかり、あるいは主人公の好みの女ばかり出てきて、しかもそれが簡単に主人公と『寝て』くれて、かつ二十代の間に『何人かの女の子と寝た』なぞと言うやつに、どうして感情移入できるか」(小谷野敦)、「『村上春樹の小説は、結婚詐欺の小説である』(蓮實重彦)というような評価が識者の中にも多くある(https://ja.wikipedia )。私の知り合いからも、「本の売り方があざとい」「音楽のことが全く分からないのに知ったぶりの傲慢な解釈、薄ぺらな文章、サリンジャーの村上訳には吐き気を感じる」などの感想を聞いたことがある。一方、村上春樹が嫌いだった人が「羊をめぐる冒険」を読んで衝撃を受け、評価を変えた人もいる。何故、村上春樹に対する評価が分かれるかは謎である。もともと文学や映画や音楽の好みは、人によりいろいろなのかも知れないが。

追記2 知り合いの文学研究者のH先生より下記のコメントをいただいた。

(放送大学の学生で)村上春樹が嫌いだという人も相当数いて、彼ら彼女らはいかに村上春樹が嫌いなのかについて、とうとうと語られるのです。つまり、好きであろうと嫌いであろうと、読後何かを語りたくなってしまうという点で、読者を巻き込む力が村上春樹の文章にはあるのだと思います。そのような作家は稀有ですし、嫌いな人もその時点で村上春樹の作品にそれだけの力があるということを証明してしまっているのです