本の書評、解説について

 考えてみると、私は、書評や本の解説を読むのが好きかもしれない。書評を読んで,その本を購入することもかなりある。でも、書評や解説を読んでから元の本を読むのでは、先入感ができて純粋にその本を読むことにはならないのかもしれない。
 一方、解説や書評の積極的な意味もある。
 社会科学の大層な本を翻訳で読もうとしても、難解で、途中でめげてしまうことが多い、それが解説に導かれてポイントを掴むことができれば、読み終えることができる。
 また、解説や書評(さらにいえば文藝批評)は、原本とは違った独自の価値を有しているとも言える。小林秀雄、江藤淳などの文藝批評は、小説とは違った独自の世界を描き、独自のジャンルを作り出している。
 江藤淳の『成熟と喪失―母の崩壊』という名著の中に、小島信夫の『抱擁家族』に関する叙述の部分がある。日本の夫婦関係の未熟さと滑稽さを考察した内容だが、その分析の巧みさに感心させられる。そして夫婦の関係について深く考えさせられる。それに導かれて原典(『抱擁家族』)を読むとあまり面白くない。(同じことを、文芸批評家が書いていたように思う)。このように、小説より、その批評の方が優れていることがある。
 渡部真氏が、森鴎外の「半日」についてブログで解説している(http://sociologyofyouthculture.blogspot.jp/)。夫婦関係の難しさを的確に指摘している。そこで鴎外の「半日」を読んでみたが、それほど、私は感心しなかった。(漱石は好きだけど、鴎外は好きではないという、私の趣向もあるのかもしれないが、少なくても私はそう感じた)。渡部氏の解説がそれだけ優れているのである(鴎外の小説が面白くないわけがない)