日本人にとっての外国語(英語)と日本語

外国語(英語)が不得意で語学力にコンプレックスを持っている人が外国語(英語)礼賛になり、逆にそれに堪能な人が外国語(英語)「軽視」(軽視というより冷静にその効用を判断している)になるのではないか、と思った。

後者の例として夏目漱石、江藤淳、村上春樹、渡部昇一、鳥飼玖美子、内田樹などがいるのではないか。

夏目漱石も英語が堪能であったが、自分の奥底の心情は素養のある漢文で書いた。村上春樹は、最初の小説(「風の歌を聞け」)を英語で書いてそれを翻訳して世に出し、彼独特の文体を確立し名声を築いたが、内田樹のブログを読んで、別の一面のあることを知った。渡部昇一、鳥飼玖美子は会話重視の英語教育に批判的である。 内田樹は、日本人にとっての英語と日本語の関係を次のように書いている(一部抜粋)。

「漱石は二松学舎で漢学を学んだあと英語に転じます。漱石がイギリス文学と出会っても、それに呑み込まれることがなかったのは、すでに豊かな言語的資源を自分の中に持っていたからこそ、自在に新しい外国語に接することができた。だから、外国語を学ぶことと並行して、母語を深く学ぶ必要がある」「1960年代はじめに、江藤はプリンストンで日本文学を講じていました。英語で授業をやり、英語で論文を書いて、途中から夢も英語でみるようになったそうです。けれども、帰ってきた後に、新しいものを作ろうと思ったら、日本語で考えるしかないと思うようになった。                                   <思考が形をなす前の淵に澱むものは、私の場合あくまでも日本語でしかない。語学力は習慣と努力によってより完全なものに近づけられるかも知れない。しかし、言葉は、いったんこの『沈黙』から切りはなされてしまえば、厳密には文学の用をなさない。なぜなら、この『沈黙』とは結局、私がそれを通じて現に共生している死者たちの世界-日本語がつくりあげて来た文化の堆積につながる回路だからである。」(『江藤淳『近代以前』)」                                 江藤はこの母語のアーカイブのことを「沈黙の言語」と呼びます。」「これとほとんど同じことを村上春樹も書いています。                                   <どうしてだかわからないけれど、『そろそろ日本に帰らなくちゃなあ』と思ったんです。やっぱり小説家としての自分のあるべき場所は日本なんだな、と思った。というのは、日本語でものを書くというのは、結局思考システムとしては日本語なんです日本語自体は日本で生み出されたものだから、日本というものと分離不可能なんですね。そして、どう転んでも、やはり僕は英語では小説は、物語は書けない。それが実感としてひしひしとわかってきた、ということですね。>(『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』)                                 「本当に創造的なもの、本当に「ここにしかないもの」は、母語のアーカイブから汲み出すしかない」「でも、今の日本では、母語に深く沈潜することも、母語を豊饒化することも、教育的課題としてはまず語られることがありません。」「母語の過去に遡ること、母語の深みに沈み込んでゆくこと、これが創造において決定的に重要なことなのです」(内田樹「英語教育について」blog.tatsuru.com/2019/05/31_0824.html 8

I氏からのコメントを掲載させていただく。
< 少なくとも内田樹は英語は大してできないでしょう。夏目漱石~渡部昇一のラインは読解はレベル高いでしょうが、話す方はからっきしダメ~相当怪しいレベル。 なぜ、母語に深く沈潜とか、母語を豊饒にとか、母語⇔英語(外国語)の二項対立でしか語れないのか? 真のバイリンガルなら両方問題なくできる。>