授業の導入部分

一番最初の授業や、毎回の授業の最初の導入の部分が難しい。そこがうまくいくと、その後の(14回の)授業、そして毎回の90分の授業がうまくいく。
そのことは頭でわかっていながら、私の場合、具体的にどうしたらいいのか思いつかず、毎回、ダラダラと授業に入り、メロメロになって(?)授業が終わるのが常である。
知り合いの小原孝久先生は、長年都立高校で政治経済や公民科の授業を担当され、上智大学の公民科教育法の授業も十数年にわたって担当された、授業の達人で、その教育技法から教えられることが多い。
小原先生より、教え子に送っている通信をいただいた。その中に、授業の導入部分のやり方が具体的に書かれていた。大変参考になる。先生のご了解を得て、その一部を転載する。

<◆授業の「つかみ」◆
一時間目の授業というものは、何度やっても緊張するものです。これは高校でも大学でもその他の学校でも、変わりはないでしょう。どのようなクラスなのか、どのような生徒(学生さん)がいるのか、はたして授業はうまくいくのか、いろいろ心配はつきません。
 大学の授業という特性もあるのか、私は一般的な自己紹介や授業の説明から始めるのではなく、思い切って具体的な例話のようなものから授業を始めます。
 この授業では、自分の名前を板書したら、「千と千尋の神隠し」と「モダンタイムス」の映画の一場面の大きなコピーを、3枚ずつ黒板に貼り付けます。そして、この写真は何のものかと学生さんたちに質問します。さすが「千と千尋」の方は、まず答えの声が上がります。これは授業の「導入」であり「つかみ」なのですが、もう少し続けてみます。
 「千と千尋」について、見たことがある人に手を上げてもらいます。ほぼ全員が手を上げるのですか、ここで一つテクニックを使います。そのまま手を下げないように学生さんにお願いし、まわりを眺めてもらいます。いかにみんなが見ているか、学生さんたちは確認することになります。その状況を確認してもらった上で、これだけ多くの人が見ているこのアニメ映画の主題は何かという質問を出してみます。ここで、答えが意外と簡単ではないことに学生さんたちは気がつきます。
 話はこれくらいで十分でしょう。要するにこの映画の話で、学生さんたちは授業に引き込まれることになるわけです。授業の進行をもう少し補足すると、映画のカタログ本(映画館で販売しているものです)を出し、そこにある宮崎駿の「この映画のねらい」の一部を紹介します。それによると、映画の主題は「自分さがし」であり、「自分の確認」とも言えるようです。もう少し掘り下げてみれば、ポストモダンの現代における自分探しということになるかも知れません。
この話を聞くころには、学生さんたちはすっかり授業に引き込まれています。狙いはいろいろ考えられるでしょうが、まずは授業の中身に興味を持ってもらうこと、またいろいろ考えてもらうことです。進め方によっては、2~3分の時間をとり、隣の学生さんと映画のテーマについて話し合ってもらうという進め方もやれます。>(学教研だより、NO55より転載)