形式より実質、動機より結果に責任を

教育の機会均等についての考え方は、形式的平等から実質的平等に移っている。つまり教育を受ける機会を形式的に平等にすればいいのではなく、実質的な結果が平等になっている必要がある。

 この考え方を、いろいろなところに当てはめればいいと思う。100%の移行は無理でも、少しでも形式より実質の方向に移すべきだと思う。
 
 犯罪などは動機が問われるが、それより結果の方に比重を移し、動機がどうあれ、結果により責任を持たせるようにすべきなのではないか。
 最近の政治や大学スポーツの世界の「言い争い」をみていると、動機(意図)がどうだったかが問題とされているが、動機(意図)に関しては当事者は誤魔化して言うし、当事者が意識しないこともあるので、そこで争っても埒があかないのではないか。
その点、結果に関してははっきりしている(「特定のところが認可された」、「傷害事件が起きた」など)ので、その結果に関して、責任を持つようにすればよいと思う。
リーダーたるもの,本人の動機はどうあれ、結果として生じたことに責任をとるべきであろう。(動機に関する「言い訳」を聞き飽きた)