学校化された意識・習性、あるいはサラリーマン意識

私の父はサラリーマンだったので、平日は朝早く出かけ働き、夜遅く帰って来ていた。母と祖母は家事の他、貧しい家計を助ける為いつも内職をしていたように思う。したがって親が遊んでいる姿を見たことがない。家族旅行に行ったこともない。このような親を見て育ち、人は生活する為にいつも働くものと思ってきた。そして子どもは、学校に通い一生懸命勉強することが、大人の働くことに相当すると思っていた。

自分が大学教師になってから、勤務時間が決まっているわけではなく、授業や会議以外、大部分の時間は自由裁量の時間で、何をしてもいいわけではあったが、平日の昼間に遊んだという覚えはない。これはサラーマンの親を見て、あるいは学校通いから身についた習性(学校化された意識・習性)であろう。大学教師の場合、土日も、授業の準備や原稿の執筆等で机に向かうことが多く、家族にとってはストレスが溜まったことであろう。

 人は定年で退職した後、どのような生活をしているのであろうか。特に大学教師の場合は、何をしているのであろうか。今友人や元同僚に会う機会がなく、そのような情報が入ってこない。

 私の周囲には、サラリーマンで退職した後、テニスや卓球三昧で、週に3~4回はそれを仕事のようにしている人がかなりいる。私もその人たちと一緒にテニスや卓球をしているが、私が参加するのは土日で、平日に参加することはほとんどない。私の場合平日は、昔からの習性で、遊ばず、仕事的なことをしていると思う(授業の準備、原稿執筆、読書、メール等)。

 今日(8月25日)、はじめて平日の昼間の卓球の練習に参加してみた(午前9時―11時)。内容は土日の卓球の練習と変わらないのであるが、私の意識の中に「こんな平日の昼間から卓球なんかして遊んでいていいのであろうか、後期の授業も1コマ引き受けているのに、その準備をしなくていいものなのか、大学の教師たるもの、平日の昼間に本も読まずに、遊んでいていいのか」という後ろめたさが働き、卓球の練習に没頭できなかった。学校化された意識・習性、あるいはサラリーマン意識を自覚した次第。他の退職した大学教師は、毎日何をしているのであろうか。