大学生の授業への出席率に関して思うこと

学期末が近づき、授業への出席をチェック(整理)し始めている。最近は学生の授業への出席率はよくなっていて、どの授業も8割前後の出席率となっている。
昔は、もっと低かった。私が30年近く前に勤めた武蔵大学では、経済学部2割、人文学部3割くらいが平均であった。学生達は、出席を取る語学と体育とゼミには出て、後は好きな授業2~3科目出て、学期末にノートのコピーを集め、試験を受ければ、単位が楽々と取れた。
「大学生たるもの自主的な勉強や活動を主とすべきで、授業の時間に、見たい展覧会や映画の上映があれば、そちらを優先すべき」と大学の教員も考えていたし、そのようにガイダンスで話す教員もいた。
 そのような中で、教員生活を長く送ってきた私は、なかなか学生の出席に対して厳しくなれない。(「大学の厳しい出席管理は、大学生の授業をさぼる自由を奪うもので、自由をモットーにしている大学にふさわしくない」と言っていた社会学研究者もいて、共感したことがある)
しかし、多くの準備をして、「これだけは学生に伝えたい、考えさせたい」と意気込んで臨んだ授業で、欠席が多いとがっかりする。授業に欠席の多い学生に対しては、「私の講義の価値がわからないのか。猫に小判だ。低い評価を付けるか、単位を落としてやろう」と怒りが沸々と湧いてくることがある。
一般には、出席のいい学生が、いいリアクションペーパや優れた答案を書いてくる場合が多い。しかし、時々、出席は100%に近いのに答案がよくないものや、逆に出席率は低いのに、答案の出来のいいものに出会うことがある。これには、困ってしまう。
 当然、学生への評価は、教員のストレス解消の手段ではない。どのような評価や対応が、その学生の成長にとって好ましいのかを考え、出席不良の学生に対して指導するのが本筋であろう。
 1回の欠席に、400字分のレポートを余分に提出ー5回の欠席で2000字プラスーは、どうであろうか―このようなことを考えている。