大学のゼミでの会話、私語

教室での私語というのは大人数の大教室で起こることが多く、少人数の教室や少人数のゼミでは起こることは少ない。

但し、少人数のゼミでも私語が多くて困ることがある。それは私語を許す教員に問題がある場合が多い。

ゼミで、講義者や発表者の発言にきちんと耳を傾け、それへの共感や反論や発展的な議論を展開する技法を身に付をけることは、将来の就職試験での集団面接や就職後の会議に役立つことを学生に伝え、その訓練を厳しくする必要がある。それを怠ると、ゼミでも私語は起こる。ーこれは正論であろう。しかし、それ以外に、学生の会話の特性にもよるような気がする。

学生達の集団での会話を聞いていると、お笑いタレントのバライエティ番組の会話のようである。学生の会話にはいろいろな突っ込みが入り、笑いに満ちている。

敬愛の1年生のゼミで、各自15分くらいの持ち時間で好きなことを話してもらったことがある。私の想定では、最初にスピーカーが10分程度まとまった話をして、その後5分程度の質疑が行われるものと考えた。

ところが、実際は、話し手の少しの発言に、突込みが入り、その受け答えで話しが盛り上がり、大変にぎやかな会話の場となるのが常であった。誰かの話を静かに聞くというのは、学生達にとってそんな居心地のよいものではなく、わいわい言いながら、人の話を聞くのが自然状態に近いのではないかと思った。

人の話を静かに聞き、それに質問や反論するという討論や会議のルールを身に付けさせる場が、大学のゼミであろう。しかし、その方法を強要すると、ゼミは発表者と教員とのやり取りだけで終わってしまい、不活発なものになることも多い。学生の会話の特性を生かした、ゼミができないものかと苦労する。