大学における代返について

 授業で出席のチェックも兼ねて、リアクション・ペーパーを配り、書いてもらうことが多い。それに対して、健気に(?)、欠席した友だちの分も書いて提出する学生がいる。
代返は教師(私)を欺く行為であり、それをされた方としてはあまり気分のいいものではない。でも、友だちの為に、文章まで書く「友情」は称賛すべきことかもしれない。
 以前に非常勤講師で教えていたS女子大では、各自1枚の出席カードに毎回、自筆で名前を書くようになっていた。その日に署名のある学生の名前を呼んで意見を求めたら、誰も返事をしない。2人目も呼んだが同じであった。気まずい空気が教室に流れた。そこはスル―して、学生に気が付かれないようにして、その日の出席署名の数と実際の出席数を数えてみた。すると署名は30名、出席数は20名であった。10名の代返があったことになる。授業が終わって専任の先生に尋ねてみたら、「そのようなことはよくあることですよ」と言われた。そこは教員養成の学科だったので、教師の卵はこのような嘘(代返)をついていいのかと、愕然とした。一方、友だちの代返をするのなら、最後までその友だちになりすまし、友だちが指されたら答えるくらいの気概がほしいと思った。
 しかし「教師は教えたがり、学生は遊びたがる」は古今東西の教師と学生の関係であると、潮木守一先生は書いている(『キャンパスの生態誌』中公新書)。それから考えると、代返も、「教えたがる教師」と「遊びたがる学生」のゲームのようなものかもしれない。代返をめぐる攻防をゲームと考え、それを楽しめばいいのかもしれない。
 最近見つけた代返は、たまたま私が名前を覚えていた学生が欠席し、その日のリアクション・ペーパーにその名前のあることから気が付いたものである。教師(私)が気が付いていないと思うのは学生も甘い。この始末をどうつけよう。ペナルティーか、それとも「友情」への称賛か。