地域格差(その2)

自分の生まれ育ったところや今住んでいるところの地域のランキング(格差)が低いと自分で言う場合は、卑下したり、ランキングの高いところを羨ましいと思っているという訳ではない。
ある基準からみればそのように見えるかもしれないが、そのことよりもっと大切なことがあるということを言いたい場合が多い。

出版社を定年で退職して故郷の仙台に戻られた水沼文平さんから、「地域格差、地域の偉い順」について、下記のような興味深いコメントをいただいた。掲載させていただく。

 「地域格差 地域の偉い順」を拝見しました。このような手法で地域・地区をランキングすると東北は「白川以北ひと山百文」と言われたこともありますから、全国的にみると最下位に位置することでしょう。
故郷に帰り一年、私が育った地域は、かつては農村地帯でしたが、現在は住宅とマンションが密集する市街地に変貌し、川と神社、自然保護林、遠くに見える山だけが昔の面影を留めています。
住まいの向かいにスーパーがあります。ここは「地域」を研究する上で私の重要な「Observation Point」になっています。年配の女性の「あづいちゃねぇ、おどげでねえ、おだいずにしてけさぃん」という言葉は(暑いわねえ、冗談じゃないわよ、お体を大事にしてね)という意味ですが、お年寄りの話す言葉に耳を傾け再習得に努めています。友人や知人との会話の中にも「あばい(行きましょう)」「いずい(違和感がある)」「おらほ(私の方)」「ございん(来てください)」「ちょす(触る)」「ぺろんこ(ただ乗り)」「んだでば(そうなんだよ)」などが散見され、聞いていてなつかしさがこみ上げてきます。前述した「おどげでねえ」は「戯けでない」が語源です。他につららの「たろひ」は「垂氷」、奥さんの「おがた」は「御方」など古語がそのまま残っています。いたわしいの「もぞこい」は「無慚」、「やっしゃない」は「遣る瀬無い」が転訛したものです。「めんこい」はかわいいという意味で古語の「愛(めぐ)し)」から来ています。伊達正宗の奥さんの名前は「愛姫(めごひめ)」です。
話は変わりますが、「朝は4本足、昼は2本足、夜は3本足の動物は な~んだ?」というなぞがあります。子どもの頃、腰が90度に曲がって杖をついているお年寄りをよく見かけました。現在もたまに腰の曲がった人を見かけます。歩くときに手を後ろに組んだり、手の平を後ろで「ひらひら」させたりします。年を取ると腰が曲がり、重心が前に倒れやすくなるため、後ろに手を回すとバランスが取れ、歩き易くなるのです。田植えや稲刈りの機械化が普及したのは1980年代ですから、その前の農村では
農作業はほとんど体を屈めて行っていました。若いうちは作業が終わると、腰も元通りに戻りますが、50歳を過ぎると段々戻らなくなります。腰の曲がったお年寄りは子どもの頃に見かけた農家の人かも知れません。
私が育った所の地名は「古海道」で「秀衡街道」とも言われ、平泉と京都を結んだ街道の一つです。義経や金売り吉次が通ったかも知れません。縄文時代から人が住んでいたようで、畑から縄文土器の破片や矢尻が多く出土しました。
土地の言葉、腰の曲がった老人のことなどを観察したり調べたりしていると、故郷の持つ貴重な無形・有形の財産に愛着を感じてきます。たとい偉くなくても、順位は下でも、地域の言葉、伝統的な行事、人間関係、早朝ゴミ拾いのお年寄りなどを聞き、見るにつけ「これでいいのだ」と深く頷くものがあります。(水沼文平)