人を傷つける罪

先に書いた「人との関係は必ず、お互いを傷つけるの」ということに関して、少し補足しておきたい。人は生きる為に、動植物を殺して食べることをしているというのもそのひとつ。恋人や結婚相手にある人を選んだということは、他の人を選ばず傷つけたということでもある。またある(限られた)地位を得たということは他の人を蹴落としたということでもある。このように生きるということは、他者を傷つけずにはいられない。それだけ罪深い。

同様のことを、藤原新也も『なにも願わない手を合わせる』(平成15年、東京書籍)の中で、次のように書いている。

<この世に生を授かったすべての生き物は、罪を重ねずして生きて行くことはできない。/ 人と人が出会う。人と動物が出会う。そこには慈しみや愛が生じるわけだが、その慈しみや愛は罪と背腹の関係でもありうる。/ 性悪説をとるということではなく、「生きる」ということの中には罪を重ねるという意味合いも含まれているということである。(中略)/ あの生き仏のような赤子も、またこれから幾多の慈しみや愛や欲望や、そしてそれに見合うだけの罪科を背負う旅立ちをせねばならないわけだ。> (同 22頁)