上田薫の教育論について

自分の専門分野のことでも、自分の不勉強から、知らないことが多い。今回は、教育学者の上田薫に関して、友人からの指摘で、やっとその理論の概要と卓越性を知った。上田薫が始め、今もいい研究&実践論文が掲載されている雑誌『「考える子ども』(社会科の初志をつらぬく会)の2020,11月号を読む機会があり、上からの通達や答申を、教育現場がどのように受け止め実践していくかを、上田氏の教育論をもとに考える研究者や教師の一群がいることを知った。

上田薫の教育論に関しては、乙訓 稔氏が、紹介している論文(「上 田 薫 の 社 会 科 教 育 の 理 念」(実践女子大学 生活科学部紀要第 48 号,2011)を読んだ。印象に残った部分を書き留めておく、優れた研究者の論は、現在も通用するものだとも感じた。

<「地理と歴史の指導では、知識を与えるよりも、根本的な理解を養うことが重要である。知識を教授する場合には、子どもの生きた経験に位置づけ、問題の解決学習とすることが真に子どものものになると考えられる 」「上田における社会科は、児童のよき社会人としての態度と能力とを養うことを意図し、児童の関心を尊重する教科である」「それは従来の秀才教育とは違うすべての児童の個性を見出すことを通じて教師と児童が人間の個性や人格についての価値に目を開かせる教育であり、いわゆる身分や貧富を問わず人格の平等と人間性への尊敬を徹底する教育なのである」「児童の個性を尊重することから、社会科の学習は子どもによっては広さを、また子どもによっては深さのある学習を指導するなかで、社会科の目的とする児童の学習の芽を育み、子どもが社会生活で生かすことのできる能力と態度をつちかい、生活環境における個性的な問題解決をはかることなのである 」「この子どもの心身の発達に応じて児童の生活に基づく「あるもの」としての「問題」と、『学習指導要領』において考えられている社会科の目標として「あるべきもの」である「理解させたい事項」との間に、社会科の学習活動そのものがあるのである」「理解させたい事項は厳密に固定されることなく社会と教育理念との具体的な要求を示す動くものでる」「学習活動のために児童が存在するのではなく、児童のために学習活動が存在しなければならない」」「社会科は倫理的な題目をあらかじめ掲げ、それに児童を引き付けようとする方法をとるのではなく、客観的な題材を追求することによって生じてくる倫理性をみずから児童に獲得させる方法をとらなくてはならない」「それは児童が自発性に基づき、みずらの関心に訴え、自己の体験を通じてのみかちえることを教育の意図としているのである」「社会科の指導原理は、社会科の本質的目的と完全に合致するもので、①子どもの自発活動性を通じて指導すること、②したがって学習は子どもが自分自身の生活で直面する問題の解決を媒介として進めること、③それゆえ学習の対象となるものは現実的、具体的で、また全体的総合的な性格であること、④そしてその学習と指導は題材を固定することなく動的に進め、⑤さらに多くのことを広く浅くふれるよりも、一つのことを深く自然に広がるようにするという、五つの方法原理が考えられているのである。」

上田薫教授の教え子のひとりの友人から、コメントをいただいた。一部転載させていただく。

<上田先生の門下生は多いです。裾野は広く社会科教育、教育哲学分野では教え子がたくさんいます。その上田節と「動的相対主義」を巡る議論はいまでも語りぐさになっています。(上田先生は)安東小学校の実践にかかわる「安東魂」に言及しています。「安東の教師たちが教育技術にたけていると、わたくしは言わない。教材研究にたんのうだとも、わたしは言わない。ただ子どもを人間として見ること、知ることについては、たとえ若輩でも他校のベテランにひけはとらないのである。教育の本道は子どもを変えることだ。そのためには子どもを人間として深く知ることだ。教材研究もテクニックのくふうもその上にしか生きないし、成り立たない。馬鹿の一つおぼえのように、そう信じこんできたことが今日の安東をつくった。新卒だって必死になって子どもをとらえれば、その子たちを具体的には知らぬ教材の権威、技術の権威とは対等以上に勝負できる。そもそも目標の設定も教材の研究も、ひとりひとりの子どもごとにやるべきではないか。保守も革新も要するに教育は画一だと考え、基礎とか共通性とか最低必要量とか、自己満足的なことを叫んでいるなかを、安東の教師たちはまことに素直にそれと正反対の 声に耳を傾け、心を傾けつづけてきたのであった。そしていま、不思議としかいいようのない安東の子どもたちが生まれている」(上田薫、みずからを変える力ー教育の変革を求めて、132頁、黎明書房、昭和52年)。(私は)「生きた授業を成立させるための観点」-三原則・三方策・六つの具体策・六つの問いかけーを始めて知ったとき、まさに眼から鱗が落ちるほどの衝撃でした。その三原則と三方策を以下に紹介します。「三原則:1計画はかならず破られ修正されなくてはならない 2正解はつねに複数である 3空白を生かしてこそ理解は充実する。 三方策:1迷わせ、わからなくしてやること 2教えないこと、すくなくしか教えないこと 3教科のわくにとらわれぬこと、授業時間にこだわらぬこと(以下略)」 いまでも学生指導の内的実践的理念として私が抱いているのは《三方策:迷わせ、わからなくしてやること》です。いまでも上田先生の声がわたしの耳元で囁く。【考えてみるがよい。教師は生きた人間であるにもかかわらず、自分を不動の存在だとむぞうさに 前提してしまってはいないか。子どもは変化するという。変化させうるという。しかし教師は変化しないのか。変化しえないのか。】