スポーツと年齢、仕事と年齢

スポーツの世界で活躍や活躍する人に我々一般人が惹かれるのは、スポーツが人生の縮図であるからであろう。
野球の試合を観て飽きないのは、9回までの試合が人生の縮図であり、また投手のバッター一人ひとりに対する配給やカウントにもドラマや,人生の優勢劣勢の縮図をみることができるからである。
また、最盛期を過ぎた選手が頑張っている姿は、特に同世代のものにとって、自分の姿を重ね共感を呼び応援したくなるのであろう(例えば長島茂雄の活躍に対する同世代の熱狂的応援)

ただ、勝ち負けのかかったスポーツの世界は厳しく、最盛期を過ぎた選手が出てもいいのか、疑問視されることが多い。
今の話題では、ワールドカップの日本のゴールキーパー川島 永嗣選手に関して、その間の試合のミスが指摘され、その顔つきが、往年の時の「いかつい顔の鬼のような生命力が落ちている」とも指摘されている。
勝負のかかったスポーツの世界はこのような厳しさは必要かもしれないが、一般の人の仕事や生活の部分はどうであろうか。

仕事の世界のプロ意識はスポーツと同じで、往年の緻密さや厳密さを欠くようであれば、即引退すべきかもしれない。
あるいは、アバウトが多少許され、高齢者の「まったりした(?)」で仕事ぶりが、勝負や緻密さとは別の効果をもたらされるのであれば、もう少し仕事を続けることが許容されてもいいのかもしれない。