コロナ危機の後のこと

重い病気になったり、死を意識したりした時、自分にとって何が大切なことなのかに、思いを巡らすことであろう。そのような時こそ、本当に重要なことに気付くのであろう。それはお金や地位や名声ではなく、平穏な家庭生活や人間関係や日々の生活の小さな幸せが挙げられるように思う。しかし、病気が治り、死の恐怖が遠のくと、危機的状況のときに考えたことは忘れ、もとのようにお金や地位や名声を求める生活に戻ってしまう。

いまコロナウイルス世界的な蔓延で、私たちの日常生活は一変し、重い病気にかかったような状態にある。そのような今、何が大切なのか、何が重要なのかを考える時でもある。いずれこの危機が克服された時、今考えたことは忘れられる。でも人生で大切なこと重要なことをメモして、忘却を少しでも少なくしておくべきであろう。―このようなことを述べている小説家がいるとのこと。卒業生のU氏から教えられた。(下記に、その一部とアドレス)

<苦しみは僕たちを普段であればぼやけて見えない真実に触れさせ、物事の優先順位を見直させ、現在という時間が本来の大きさを取り戻した、そんな印象さえ与えるのに、病気が治ったとたん、そうした天啓はたちまち煙と化してしまうものだ。僕たちは今、地球規模の病気にかかっている最中であり、パンデミックが僕らの文明をレントゲンにかけているところだ。真実の数々が浮かび上がりつつあるが、そのいずれも流行の終焉とともに消えてなくなることだろう。もしも、僕らが今すぐそれを記憶に留めぬ限りは。>(イタリアの小説家パオロ・ジョルダーノ『コロナの時代の僕ら』)https://www.hayakawabooks.com/n/nd9d1b7bd09a7