カズオ・イシグロ・小野寺健訳『遠い山なみの光』を読む

カズオ・イシグロ・小野寺健訳『遠い山なみの光』(2001、ハヤカワ文庫)を読んだ。
イシグロの初期の作品で、文庫で275頁と比較的短く、後半一気に読める。
これで、イシグロの翻訳のあるものはほとんど読んだような気がする。
水沼さんが、そのストリーに関してわかりやすく8月18日のブログに書いてくれている。「彼が日本と日本人について書くのはちょっと無理があるような気がします」という指摘もある。ただ、翻訳者が、会話を当時の日本のまた登場人物の出身などを考量して表現しているので、外国の翻訳という感じはしない。
文庫本の後の訳者あとがきと解説(池澤夏樹)が、とてもよく書かれていて、それ以上の感想を付け加えることはないように思う。

読書メーターhttps://bookmeter.com/books/568342/reviews?page=1&review_filter=none 他、から、いくつか感想を転載しておく。

<今はイギリス人と再婚してイギリスに住んでいる悦子は、終戦後新婚で長崎に住んでいたときのことを回想します。原爆が落ちて、戦争が終わって、世の中の常識が180度変わってしまった時代に、夫と義父と近所に住んでいた女性との関わりの中で思い惑う気持ちが描写されています。物語を読み終わると、淡々と語られている物語の中に悲しみが隠れていた事に気づきます。決して読みやすくはないですが、心にのこる物語でした。>
<A Pale View of Hills by Kazuo Ishiguro 1982 遅ればせながら、著者初読。義父、夫、友人、娘・・時代や関係性、様々な断絶が、靄のかかったようなもどかしさ、寂寥感、そして不気味さを醸し出している。解説で池澤夏樹さんが褒めていたように小野寺さんの訳がとても自然で滑らか。原文はどんなだろう。>
<戦後の長崎で奔放な佐知子に出会った悦子は、当時は彼女の生き方を理解できなかったかもしれないけれど、後にイギリスで次の夫を得た彼女の人生には少なからず佐知子が影響しているのだと思う。多くを描かれない景子、ニキ、そしてその後の知れない佐知子と万里子。存在の見えない悦子のイギリス人の夫。何らかの終着点の見えないまま、常にずっと薄暮のなかにいるようなストーリーで、でも変化や希望が描かれているような……まだまだ初の作家さんなのでよくわからないけれど惹かれてしまう。他の作品を読んでみたいと思う。英語で読めたらいちばんよいのだけれど。>
<解説にもある通り、薄闇の中を手探りで進んでいくような不思議な読書体験だった。佐知子と万里子パートなんて常に不気味で、まるでホラーのよう。しかし物語がどこに向かうのかわからないなりに読みすすめると、読了後、過去のシーンひとつひとつがフラッシュバックして、甘酸っぱいような苦々しいような奇妙な気持ちに包まれた。決して明るい終わりではない。けれど、どこかで時代を生き抜く人間の生命力も感じさせる。不思議な多幸感。今はタイトルの「遠い山なみの光」がとてもしっくりくる。>
<戦争の終結によって、人々の社会的地位や価値観が大きく変わった時代、その中を生きる人々に思いをはせながら、自分の人生を振り返っていきます。常にもやもやとした、薄暗い雰囲気が続くので読んでいて不安な気持ちになります。英国人の書いた日本人の会話を日本語で読むというのは妙な感じです。>
<処女長編だそうで、それもあってか、盛り込み過ぎ!!気になる要素があたら蒔かれてるのに、解決しないことがありすぎて、それで収まりがつけばいいけど、単に書き込みが足りない感じ。>
<全てが原題のごとく、ぼんやりとした風景の中で進行していくのも解説の池澤さん同様小津映画を想起した。佐知子のその後や娘の自殺など語られないこともあるが、決して日本女性のみならず、普遍的に時代も超え、不条理な事の後にも生き続ける生き様を描いたからこそ、評価されるのだろう。>