カズオ・イシグロの作品について

カズオ・イシグロと村上春樹の違いは何だろうということが妻と話題になった。「クラシックとジャズの違いかもしれない。村上春樹はジャズが好きだし」と妻の弁。ただ、クラシックにもジャズにも疎い私には判断ができない。
私はクラシックは頭(理性)で聴くもの、ロックは体で聴くもの、したがってクラシックを聴く時は緊張して疲れるが、ロックの方が体のリズムに合わせ自然でリラックスできると感じていたが、妻がいうには、クラシックは魂が浄化され、心が安らぐという。

イシグロの小説は、いろいろなことがきちんと計算され論理的に組み立てられていることを感じる。それはクラシックに近いかもしれない。また「わたくしを離さないで」などは、哀しい話しながら魂が浄化されるような感じもする。
村上春樹の長編はその主題がかなり混み入っていて、推敲はしているのであろうが矛盾したところもあり、読んでいてわからなくなることがある。村上春樹の短編はしゃれていて、短いジャズやロックを聴くような心地よさがある。

カズオ・イシグロの作品のどこに人は惹かれ、またノーベル賞がなぜ授賞されたのであろうか。
富山大学の入試問題の箇所のように、現代人が忘れているもの、かっての職業人の倫理(その役割をわきまえた節度ある行動)への郷愁や称賛なのであろうか。
読んでいてそのようなものに心うたれる部分もありが、イシグロが言いたかったことはそれではないことは丸谷才一の指摘にあるように明白であり、それを人々は読み取り、ノーベル賞でもそれが評価されたのであろうか。
富山大学の入試の「虎」の例はこれでいいのだが、館の主人が何の落ち度もないユダヤ人の召使を首にするように主人公(執事)に伝えた時、主人公はそれが理に合わないと思いながらそのことをおくびにも出さす、主人の命令を事務的に履行することが執事の仕事と疑ってやまない行動や心性を、イシグロは淡々と描写している(早川文庫204-212頁)。イシグロが暗に問いかけていることを考えさせられる。このような部分は、入試には出ないのであろうか。