カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』を読む

自分としては教師という商売柄、かなりの本を読んでいるつもりでも、実際は読んでいる本はごく少数、それも有名な本すら読んでいないことを知り、愕然とすることがある。
3年ほど前に学生が薦める重松清の小説を1冊読んで、なかなか面白くその後10冊以上は購入し読みふけったことがある。それまで重松清という作家の名前すら知らなかった(2015年2月14日、ブログ参照)。
今回ノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロ氏の本も、恥ずかしいながらこれまで1冊も読んだことがなく、名前すら知らなかった。
ノーベル賞の受賞を機に1冊くらいは読んでみようと、文庫本で「わたしを離さないで」を購入し、読み始めたが、読み慣れない翻訳本ということもあり、なかなか読み終わらず、1か月くらいかけてようやく昨日読み終わった。
最初の方は、何やら寄宿舎での生徒同士の人間関係や教師との些細なやり取りに明け暮れている内容と思い、かなり退屈と感じていたが、最後に来てすごい秘密が明かされ、こんな重いまた現代的な問題を扱っていたのかと、心にずしんと響いた。また描かれた中の会話の緊迫感はすごい(漱石の「明暗」以上)と今は感じている。

ネットで、カズオ・イシグロ「わたしを離さないで」を検索すると、含蓄のある解説があった。
これから、この本も読み直し、その映画やテレビドラマも見て、またイシグロの他の小説も読んでみようと思っている。(「あなたは全く鈍く、肝心なことに気付くことが遅いのだから」という家人の声が聞こえてきそう)

 ネットの解説を、一部転載。https://pdmagazine.jp/works/never-let-me-go/

<【カズオ・イシグロ、ノーベル文学賞受賞!】『わたしを離さないで』
『わたしを離さないで』は2005年に出版された長編第6作。翻訳者である柴田元幸氏は、「著者のどの作品をも超えた鬼気迫る凄みをこの小説は獲得している。現時点での、イシグロの最高傑作だと思う」と日本語版(土屋政雄訳、ハヤカワepi文庫)の「解説」のなかで語っています。
『わたしを離さないで』の舞台は1990年代末のイギリスです。物語はキャシーという女性が、幼少時代からの過去を回想する一人語りで進んでいきますが、読者はかなり早い段階から、キャシーが語っているのはどんな世界の話なのかに疑問を持ち、それが解消されないまま読み進めていくことになります。
このヘールシャムという場所は、どういった子供たちが集められており、育った子供たちはここを出た後どうなるのか、といったことについては、キャシーはなかなか説明しようとしてくれません。
私たち読者は、キャシーの語りの断片を手探りで拾い集めながら、その深奥にある真実や、物語世界を支えている恐ろしい前提について推測を重ねることになります。このキャシーの語り方で先の展開への興味をそそられ、ページを繰る手が止まらなくなるところが『わたしを離さないで』の第1の面白さです。
そして真実がどんどん明らかになっていく段階では、それが抑制のきいた語り口で明かされるために、かえって読者の驚きは大きなものになります。そしてその驚きを体験することが、この小説をはじめて読むときの醍醐味の一部といえるでしょう。
しかし、真実を知ってもう一度読み返したときでも、キャシーがただ自分の思い出を自分の視点で語っているというだけではなく、そこには様々な、文章の表面には表れてこない葛藤があった可能性も想像されるようになっていきます。そうやって読み返すたびに、キャシーが語っている内容そのものに加え、彼女の語り方の意味や、彼女自身にとってのその効果について、様々な読み方が可能になるのが、この小説を手に取る楽しみのひとつだと思います。>

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【カズオ・イシグロ、ノーベル文学賞受賞!】『わたしを離さないで』TVドラマじゃ伝わらない、原作の魅力。