「身の丈」について

今日の朝日新聞朝刊(11月6日 朝刊、耕論)には、文部科学大臣の「身の丈」発言をめぐって、3名の研究者(竹内洋、斎藤孝、松岡亮二)がコメントしている。今の大学生はこの「身の丈」について、どのように考えているのであろうか。今週の授業で尋ねてみたい(下記のような議論の整理を提示して)

1 文部科学大臣の「身の丈」発言によって(別の要因もあるが)、来年の大学入試に英語の民間試験を使うことが延期された。「身の丈」にあった生活や努力をすることをどう考えたらよいか。2「身の丈」の逆は、自分の身分や能力を考えずに、上(「立身出世」)を目指すこと。このようなことが可能で、それが強く奨励された時代があった(明治初期、戦後最初、バブル期)。今は低成長期で、「身の丈」にあったキャリアが奨励される時代。また東日本大震災で身の回りのものを大切にしようという意識が生まれている。3 自分の置かれた身分(家庭環境や地域)と自分の能力は別で、前者の「身の丈」奨励は教育の機会均等に反する。後者の「身の丈」推奨はある程度肯定できるが、それが個人の努力にブレーキをかけることになってはならない。4 「身の丈」にあった生活は皆多かれ少なかれ送っている。自分の経済状況に合わせた家に住み、自動車や家電を購入し、旅行に行き、食費や衣料費も教育費も決めている。ただ「1点豪華主義」ということもあり、各自によって何にお金をかけるかはまちまちである。「身の丈」にあった生活は自分や家族が決めることであり、他人や政府から言われることではない。