「教える」ということを掘り下げる

公益財団法人「中央教育研究所」の研究報告NO99,『自律した学習者を育てる言語教育の探求12』 (平成5年1月)が発刊され、WEBで読むことができる。鳥飼玖美子先生(立教大学名誉教授)が研究代表の報告書で、7名の研究者の論稿が掲載されている。(https://chu-ken.jp/pdf/kanko99.pdf

内容は、寺崎昌男先生(東京大学名誉教授)の「『教える』ことを掘り下げる」という論考に対して、研究メンバーが、言語教育や英語教育の観点からコメントしたもので、大変興味深い内容になっている(それをこの分野に素人の私が紹介することはできないので、直接読んでほしい)。

また寺崎昌男先生の論稿とそれへの補いの講話の記録も、興味深いもので、教育史や高等教育が専門の寺崎先生が、「教える」という教育学の原点の問題に、実際の教育現場の実践などを例に引きながら、わかりやすく、また深く考察されているので、感銘を受ける(これも、私が説明役では役不足なので、直接読んでほしい)。

ここでは、寺崎先生が、論考の最初に紹介している哲学者W.A. ウォ―ドのエッセイの章句を転載しておこう。寺崎先生は、このウォ―ドの言葉を単純に称賛しているわけではない。先生の論考は、ウォ―ドの言葉を教える側から説明しているとも、批判しているとも解釈できる。この言葉を手掛かりに、「教える者」の側に立って、教え方の深みを具体的に例示している。さらにそれにコメントする研究者の立場はいろいろで、興味深い。

(原文)The mediocre teacher tells / The good teacher explains / The superior teacher demonstrates / The great teacher inspires/ (Foundations of Faith, Droke House, 1970)

(寺崎訳) どこにでもいる普通の教師は,ただ話して聞かせる  / よい教師は,丁寧に説明する  / 優れた教師は,自分でやって見せる  / 偉大な教師は,相手の心に火をつける