「大学入試共通テスト」の国語の問題について

大学入試の制度に関してはいろいろ議論されることが多いが、大学入試問題の中身に関して議論されることは少ないように思う。今回の大学入試共通テストは、理系の平均点が低いようだが(数学ⅠA 昨年より17.4低い、数学ⅡB  14.0低い、生物22.6低い、化学 8.0低い)、文系科目の試験問題に問題はないのであろうか。たとえば、国語の平均点は前年より8.7点低い(200満点中108.8点)と、数学などよりは高く、妥当な点であり、適切な問題が出されたのであろうと推察されるが、実際にその出題内容を見てみて、疑問に感じることがいくつかあった。

一番は、国語の現代文に関してみてみると、課題文がとても難解なことである。今回評論は、檜垣立哉・ 阪大教授と藤原辰史・京大准教授の「食べること」に関する哲学的な内容と、文学は内向の世代の黒井千次の「庭の男」の一節が出題されている。今の若者(高校生)の読書離れがすすみ、長い文章を読めない書けない若者が増えていると言われる中で、同一年齢の半数近く(約53万人)が受験する大学入試共通テストの試験の問題に、このような難解な文章を読ませる意味はあるのか。出題者は、受験生の活字リテラシィの実態をどの程度理解しているのか、何を意図してこのような難解な文章を出すのかと疑問に思う。

さらに、作家の黒井千次氏の「庭の男」の内容は、高齢者の生活心情がよく描かれていて同世代の老人が読むと感銘を受けるが、これを高校生に共感しろ、異文化理解が大事だというのは、あまりに押し付けがましいように思う。もう少し、高校生の心情に寄り添った内容の文章でないと、文章題の設問に対して、高校生の共感や理解を得るというのは無理ではないかと思った。現代の大学入試の国語は、若者が老人の気持ちをどの程度理解できるかを測るというものなのであろうかと疑いたくなる。(黒井千次の「庭の男」の文章は、京都教育大学で2015年に出題されているとのことだが<卒業生のI氏からの情報>、その時は一大学一学部の入試問題だが、今回は50万人以上が受けている大学入試共通テストなので、規模が違う。)

現代文の設問を見ると、書かせる解答もあるが、大部分は4~6拓の中から、(解釈として)適切なものを選べというもので、もし課題文を全く読まないで(理解しないで),解答してもかなりの確率で正解に至ることができる(明らかにおかしい解答の選択文を除外すればさらに正解の確率が上がる)。このように、数学などと違って、国語の場合全く理解していなくても、正解に至る確率はある程度ある(社会や英語も同じであろう)ので、平均点が高い(適切)と言っても、問題がないわけではない。

別の見方も書いておく。安藤宏・東大教授は「なぜ国語に文学」という題で、「異質な他者に触れ、心情を思う」ことがこれからは大事ということで強調しているが(朝日新聞1月22日朝刊)、高齢化社会の中で若者に世代の違う高齢者という「異質な他者に触れ、その心情を思う」ことが必須になるというのなら、(上と逆に)今回の黒井千次の文章の出題は時代の要請に合い、きわめて適切なものであったともいえる。

別の見方(2)ー上記は「若者の読み書き能力が高くない」という前提で書いているが、実際大学で学生に遠隔授業で資料を読ませそれへのコメントを書かせると、学生は難解な文章(例えば上野千鶴子「セックスとジェンダーのズレ」『差異の政治学』)の趣旨を的確に読み取り、いい文章でコメントを書いてくる。それは少数の学生ではなく、多くの学生に見られる傾向である。大人の世代が思う以上に、今の若者世代の読み書き能力は高いかもしれないとも思う。