「大地の芸術祭」について

自分が狭い世界で生きているなと思うことがある。自分では自分の専門以外のことにも関心を持ち、見聞を広めているつもりでも、実際はそうではなく、狭い世界に閉塞しているのかもしれない。

先日、家人に誘われて新潟県の苗場までいた時、ついでに十日町まで行って「大地芸術祭」見ようと言われた時も、「大地の芸術祭」というのが何のことかわからず、十日町までは行きながら、3500円の入場料が惜しくて、何も見ずに引き返した(道に迷い、山道に入り込み、棚田などは見ることができたが)。

先日、上野正道氏と話していたら、「大地の芸術祭」の講師として招かれ十日町の廃校になった学校での催しに参加してきたという話が出た。「大地の芸術祭」をネットで検索すると(http://www.echigo-tsumari.jp/、)その概要がわかる。こんな取り組みが、何年か前からあり、地方の過疎化対策やその活性化の試みが、高い理念のもととりわけ芸術・アートの観点からなされていることを知った。自分の関心の狭さ、とりわけ芸術的センスのなさを、痛く反省した。(ネット検索の一部を転載。) 

 ▼「大地の芸術祭の里」とはー3年に1度の世界最大級の国際芸術祭「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」の舞台となる、越後妻有地域(新潟県十日町市・津南町)を「大地の芸術祭の里」と呼んでいます。ここでは、1年を通して、地域に内在するさまざまな価値をアートを媒介として掘り起こし、その魅力を高め、世界に発信し、地域再生の道筋を築くことを目指しています。その成果発表の場となるのが、「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」です。

▼基本理念――「人間は自然に内包される」 越後妻有は、縄文期からの豪雪や河岸段丘といった厳しい条件のなかで、米づくりをしてきた土地です。人々は、切り離すことができない人間と自然の関わり方を探りながら、濃密な集落を営んできました。その祖先にならい、わたしたちは、「人間は自然に内包される」という理念をかかげ、美術を人間が自然と関わる術(すべ)と捉え、広大な里山を舞台に、人と自然とアートが織りなす「大地の芸術祭」を2000年にスタートしました。 3年に1度の芸術祭が地域づくりの起点となるべく、わたしたちは年間を通じて活動しています。過疎化・高齢化が進む越後妻有の地域再生の契機として、地域資源の発見や地域の知恵の学習、住民との協働、空間を息づかせる制作という、アートがもつ力を信じ、この地域づくりが企画されました。

▼新しい地域づくりのモデルーー「大地の芸術祭の里」での地域づくりのあり方は、「妻有方式」として海外メディアでも多数紹介されるなど、国内外で美術の枠を越えた評価を得ています。「越後妻有の林間学校」は3.11の震災後、東北と繋がるすべを模索するなかで生まれました。東北の子どもたちが都市の子どもたちと一緒になり、「大地の芸術祭」の多様なアーティストやさまざまな分野の専門家を講師に迎え、アートやスポーツのワークショップ、農業体験、集落のお祭りや芸術祭の作品巡りなど、里山を舞台に大人も子どもも真剣に「遊び」「学び」ます。

今日(8月15日)の夕刊に、その一つの展示の紹介が載っている。

東京育ちの彫刻家で、日大芸術学部教授の鞍掛(くらかけ)純一さん(47)は、新潟県の越後妻有(つまり)地域(十日町市、津南町)で開かれる現代アートの国際展「大地の芸術祭」への出品を機に、現地との交流を10年以上続けています。芸術は地方の活性化にどう役立てるのでしょうか。 田園風景が広がる十日町市の室野集落。昨年閉校した奴奈川(ぬながわ)小の旧校舎で、地方と都市をつなげる学びの場をつくろう、との試みが始まっている。6回目になる大地の芸術祭のプロジェクトの一つ、「奴奈川キャンパス」。鞍掛さんは「校長」だ。 改修された旧校舎の正面玄関に、深緑色に塗った板に里山の風景を彫った巨大レリーフ(縦2・6メートル、横16・8メートル)を掲げた。キャンパス内のレストランでは、集落の各世帯が自前の夏野菜を提供し、地元の主婦が調理に加わる。農作業やアート制作などの体験講座も開く。「まずは里山にくるきっかけづくりが大切」。レリーフの制作では、5カ月で延べ200人の日大生を集落に連れてきた。「人とのコミュニケーションで作品が生まれるのだと実感した」と話す学生もいた。