5月の平日の過ごし方

天気も良かったので、八千代市(自宅から車で30分)にある京成バラ園(www.keiseirose.co.jp/garden/にバラの花を見に行く。5分咲きとのことだが、1600種10000株のバラが絢爛豪華に咲いていた。花の美しさに、見る人が負けている感じがする。あまりに多くのバラにどのように写真を撮っていいのか迷う。1株気に入った品種の蔓バラを買った。うまく育てられるかわからない

午後はテニス仲間3人と、近くのマンションの脇のテニスコートで、ダブルスの試合を楽しむ。久しぶりのテニスに私のミスが多く(特に肝心の時のボレー)、皆に迷惑をかけたが、やはりテニスは楽しい。テニスは練習より試合の方が楽しい(卓球は試合より練習の方が楽しい―もちろんこれは私の場合)


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天皇制存続と憲法9条はバーター?


天皇制や憲法9条について、加藤典洋『九条入門』(創元社)の内容を内田樹が紹介している文章(blog.tatsuru.com/2019/05/03_1323.html)を読んで、このような見方があるのかと驚いた。これは歴史的な見方なのであろうか、それとも文芸的あるいは社会学的な見方なのであろうか。また教育現場ではこの歴史をどのように教えてるのであろうか。内田氏のブログの一部を転載しておく。

<天皇制の存続は戦争末期においてアメリカではほとんど論外の事案だった。1945年6月29日(終戦の6週間前)のギャラップによる世論調査では、天皇の処遇をめぐって、アメリカ市民の33%が処刑、37%が「裁判にかける・終身刑・追放」に賛成で、「不問に付す・傀儡として利用する」と回答したものは7%に過ぎなかった。そのような世論の中でGHQによる日本占領は始まった。法理的には、日本国憲法を制定する権限はGHQではなく、それより上位にある極東諮問委員会の11カ国である。メンバーの中では、ソ連、オーストラリア、ニュージーランド、フィリピンが天皇制の存続につよい警戒心を示していた(中略)日本では極東委員会もアメリカ国務省も知らないうちに1946年3月6日に天皇制の存続と戦争放棄という驚嘆すべき条項をもつ「日本政府案」(起草したのはGHQ)が発表された。なぜマッカーサーは憲法起草をこれほど急いだのか?加藤典洋によると理由はきわめて実利的なものである。天皇制を利用すると占領コストが劇的に軽減することが確かだったから。天皇制を廃したり、天皇の戦争責任を裁判で追及した場合には、絶望した一部の日本軍兵士が占領軍に敵対し、多数米軍兵士の長期駐留が必要になる可能性があった。1946年2月時点でのマッカーサーは天皇制を梃子に国内秩序を完全にコントロールすることと、アメリカ国内向けには「天皇制があっても、日本の軍国主義は決して復活しない」と保証することという二つの要請を同時的に応えるというアクロバシーを演じる必要があった。そのときにマッカーサーに訪れたのが「戦争放棄」というアイディアであった。天皇を免罪するけれども、天皇の存在が世界の平和を脅かすリスクになる可能性はゼロである。なぜなら、日本は戦争を放棄するからである。天皇の免罪という「非常識な」政策を正当化するためには、それに釣り合うほどに「非常識」な政策によって、均衡をとる必要があった。「天皇制は残す」という決定を呑み込ませるためには、「極端な戦争放棄条項」、すなわち個別的自衛権すら放棄するという条項を憲法に書き入れるしか手立てがなかったのである。憲法九条二項は憲法一条と「バーター」で制定された。

一昨日(5月8日)の朝日新聞に載った江藤祥平氏の9条論も、この加藤の解釈の延長線上にあるように思う。(虚構”だからこそ引き受ける 江藤祥平(憲法学者)                                    <憲法9条の存在自体には意味があったと私は考えます。軍拡を抑え、軍事力で問題を解決しようとしない日本の基本姿勢は、国際社会の信頼を得てきました。真剣に受け止めるなら、戦争より覚悟が必要になります。9条がこうしてある意味で常軌を逸しつつ、歴史の一歩先を行く性格を帯びた背景には、多大な犠牲者を生んだ先の大戦の経験があります。倫理の側面から見れば、弱き者たちから叫ばれた「殺すなかれ」という要求を受けとめたものとも言えるでしょう。9条の理想を追求する日本国民という物語は、それが虚構であるからこそ、引き受ける覚悟がなければ成り立ちません。あえて9条という宿命に賭ける覚悟です。>

(一方、江藤淳のように、このような憲法9条の戦後日本の虚構=欺瞞が、戦後日本の腐敗を蔓延させたという見方をする人もいる。)

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深谷昌志 最新刊『子ども問題の本棚から』を読む

先輩の研究者で、現在も活躍されている方が、私の周囲では何人かいる。それも何かの名誉的な役職に就いているというのではなく、新しい著書を出版されているのであるから驚きである。本を執筆・出版するということは、他のこと以上に、頭を使い体力を使い神経を使う。それだけ齢を感じさせないということである。

 私が若い頃、調査研究他でお世話になった深谷昌志先生(東京成徳大学名誉教授)から、最新刊『子ども問題の本棚からー子ども理解の名著25冊を読み解く』(黎明書房、2019.5)をお送りいただいた。

<半世紀以上にわたって子ども研究を重ねてきた著者が、現代の子どもを捉えるのに示唆に富むと思われる25冊を厳選して紹介。古今東西の名著のすばらしさ、面白さ、問題点を著者独自の鋭い視点で批評。><子ども問題に精通する著者が、P・アリエスの『〈子供〉の誕生』や千原ジュニアの『14歳』など古今東西の25冊の子ども理解の名著を読み解きながら、子どもが抱える様々な問題を独自の視点で解明します。>(www.reimei-shobo.com/ISBN978-4-654-02312-7.htm

上記の本の紹介にあるように、教育や子どもに関する古典を丁寧に読み解いたもので、その文献の歴史的、時代的意味を解説し、また現代の視点からも考察した内容で、筆者の若い頃の読みと今の読みの比較、本の著者の思いへの共感(そして疑問も)など、円熟した研究者ならではのもので、深い感銘を受ける。原著者と評者のスリルに充ちた論争のようで、思わず原著を読み直し、その議論の行く末を見極めようとした文献もいくつもある。

大学の教員も定年があり、定年まで勤めればあとは研究など続ける必要はないと思われがちだし、本人もそう思っている人は多いと思う。深谷先生のように定年をはるかに過ぎても(1933年生まれ)、研究意欲が衰えず、新しい著作を次々出版される方が少数ながらいる。その意欲はどこから生まれてくるのであろうか。その何分の1かでも学びたい。

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バラの季節(その2)

5月の10連休が終わり、今日から通常の日常が始まる。会社や学校や幼稚園・保育園に行く大人・子どもの朝の足取りが何となく重たい。生活のリズムを取りもどすのに1日はかかるかもしれない。連休に関係ない日常を送る老人たちも、この世間の空気を感じ、気分が何となくだるい。
家の近所ではバラが咲き始めた。 初夏の花(バラ)を見て、気分を晴らしたい。

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欧米への憧れや幻想を捨てて

日本人にとって明治以来そして戦後も外国それも欧米へのあこがれは強かったように思う。政治の面でも学問や知識の面でもまた暮らしの面でも、日本に比べ欧米の方が圧倒的に近代化が進んでいて、見習うべき点がたくさんあった。欧米に渡航したり留学したりした人の持ちかえる見聞が本になり、それを読んで一層欧米へのあこがれが強くなった。

それがここに来て、状況が少し変わってきた。テロや犯罪が多い欧米に比べ、日本は安全で住みやすく伝統的に優れたものが多くあると、政府が日本賛美を推奨し、マスコミもそれに乗り、若い人の留学離れもすすんできた。欧米の生活や暮らしぶりを紹介をする文献も、これまでは欧米先進国がいかに素晴らしいかという内容が多かったが、そうではない報告も増えて来た。たとえば、今ネットでよく読まれている「イギリス毒舌日記」https://ameblo.jp/wiltomo/(イギリス人と結婚した日本人が、イギリスの田舎町の日常や人々のことを描いている)を読むと、イギリスの実際の生活や人となりがよくわかる。それを読むとイギリス社会やイギリス人に対するあこがれは薄れていく。

アメリカのトランプ大統領の発言ややり方に呆れるだけでなく、それを支持しているアメリカ人が多くいることに、アメリカ社会やアメリカ人への幻想は薄れていく。だからと言って、日本賛美に走ることは危ないが、欧米への憧れや幻想を薄め、国にとらわれず、何が正しいのかを見極めなければならない。 (このことは、広く外国に目をやり、自国の生活や文化を相対化をすることの大切さを否定するものではない)。


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