朝顔のまき時について

当然のことだが、花の種にまき時時がある。また水やりにも注意が必要だ。朝顔は、雑草に近い花だから(?)いつ蒔いても大丈夫だろうと、今年は8月の中旬に、去年の種を庭の土にまいたが、なかなか芽を出さなかったり、芽を出しても伸びが遅い。

ネット(https://horti.jp/122)調べると「アサガオは、5月中旬〜下旬が種まきの適期です」、(種に)「芽切り(爪切りなどで傷をつけてから種を蒔く)」が必要。「アサガオを育てる最初のステップは、時間のかかる土作りです。中性〜アルカリ性の土質を好むので、鉢植えなら草花用の培養土を使います。鉢植えの土を自作するなら、赤玉土5:腐葉土4:川砂や牛糞堆肥1くらいの割合で混ぜた土を2週間ほど寝かせてから利用していきます」「1日の水やりの目安は春や秋が1回、夏は2回ほどです。ポイントは、気温が高くなる時間を避けること。気温とともに温度の上がった水は根を傷つけ、蒸れの原因になります。昼間の暑い時間やツルが伸びる夜中の水やりは避けてください」と、その種まきや水やりの注意がいろいろ書かれている。

子ども(孫)が、学校から夏休み前に持ちかえった朝顔は、学校できちんと種まきや土の配慮をしているのか、毎日きれいな花を咲かせている。私がまいた朝顔に配慮の足りなかったことを朝顔に詫び、これから培養土を足したり、水やりに気をつけてみたい。確か、遅咲きの朝顔の種なので、これからでも咲いてくれるかもしれない。

雑誌『文藝春秋』9月号を読む

世界、中央公論、文芸春秋、婦人公論、潮、思想などの総合雑誌を、人々はどの程度読んでいるのであろうか。私自身それらを段々読まなくなっていることを感じるが、総合雑誌の発行部数の推移などをみると、年々減少しているので、他の人も同様なのであろう。今の大学生は、そのような雑誌があること自体知らないかもしれない。

私の場合、その時々の芥川賞の小説は読みたくて、それの掲載されている『文藝春秋』を購入する(年に2度)。今回は2019年9月号。第161回芥川賞「むらさきのスカートの女」が掲載されている。*

この小説は選者の評価は高いものの(「書く技法の高さに文句のつけようがない」等)読み始めてみるとストーキングする女とされる女の物語で、文章にキレもなく退屈な小説だなという感じで、途中で放り出しそうになったが、我慢して読み進めると、この二人の関係が奇妙で、それに気づくと一気に面白く読めた。

総合雑誌は雑多な内容が満載なので、ついでに他のところもつまみ読みしてみると、いろいろ知識が得られる。それをメモしておく。

1 最近の若者の髪形は人類史上最低のヘヤスタイル。日本的な「眉目秀麗」の逆を行き、眉と目が髪で隠れている(美輪明宏)。

2 ジャーニーズ喜多川に対しては、少年に対する性的虐待者という見方と、日本に少年のグループでブロードウエイのミュージカルに匹敵するものを作った偉大な人(美輪明宏)という見方がある。

3  韓国の文在寅政権の敵は、日本ではなく国内保守派。

4 日米安保条約は、日本をアメリカは守る規定になっているけれど、アメリカ(人)が攻撃された時、日本(人)はアメリカ(人)守ろうとしない。アメリカの一般人から見たら、とても不公平な条約(橋本徹)

学習指導要綱と教育現場の乖離について(英語の場合)

文部科学省が作った学習指導要領が教育現場でどのように受容されているのであろうか。それの実証的な研究はあるのであろうか。それは、教科によってもかなり様相が違うのでないか。そんなことを思いついたのでメモを残す(既に研究があるかもしれないが)。

英語の場合で考えてみたい。学習指導要領では、中学や高校で英語による授業が推奨されていると思うが*、現場の中学や高校でそれが実施されているところはまだごく一部だと聞いたことがある。 この乖離は、現場の実情を知らない文部科学省の身勝手な政策のせいと考えるか、会話が重視される時代の流れに疎い現場教師の怠慢と取るかということは、興味深いテーマだと思う。 英語の場合は、現場教員の語学力(特に英会話力)と英語教員の意識によって(入試もあるかもしれない)、文部科学省の考えが、現場に浸透していかないのかもしれない。 また、教師用の指導書には、英語で教育するプリントやCDの資料が豊富に載っているようだが、それを使いこなせるかどうかは教員の力量にかかっている。

一方一般的には、最初は中高校生には基礎的な文法は日本語でしっかり教える必要はあるし、学力レベルが低い中・高校生に英語による授業では理解は無理と考えるのが普通であろう。

しかし、そうではなく、どのようなレベルでも、英語による教育が可能であると考えるグループの人たちもいる。実際の高校で、英語による教育の実践をしている高校もあるが、その数は少ないという。高校の授業ではないが、NHKの高校生向けのラジオ基礎英語教育の番組で、英語による教育を実践していて、それ公開しているものがある(https://www2.nhk.or.jp/gogaku/eigodekiso/)。            それを聞くと、高校現場の英語による授業の様子も、このようなものなのかとよくわかる。このようなものを手掛かりに、この問題をもう少し検討してみたい。(以下 上記サイトより一部転載)

<この番組は、「英語で英語を学ぶ」ことを通して、「英語を話すための力を身につける」ための1週間限定のプログラムです。  単語や文法には主眼をおかず、基本的な文法学習を終えた高校生、大学生、そして社会人の皆さまが、話したい内容を効果的に英語で伝えるコツをつかむことを目的としています。1週間を通して扱うテーマは、「バレンタインデーの義理チョコは必要かどうか」です。  番組では、高校生や外国人旅行者の意見、バレンタインデーの歴史なども紹介しながら、義理チョコに関する意見をきいていきます。ぜひリスナーの皆さんも自分ならどちらの意見に賛成するかを考えながら番組をきいてみてください。

Welcome back to “Learn English in English”! This is a special program to help you become a better English speaker. I’m Dario Toda. Kellie And I’m Kellie Holway. Momose                                 Hi, everyone. I’m Miho Momose. This program is in English. But don’t worry. We will be here to support you.

https://www2.nhk.or.jp/gogaku/eigodekiso/)。

*(3) 英語に関する学科の各科目については,その特質にかんがみ,生徒が英語に触れる機会を 充実するとともに,授業を実際のコミュニケーションの場面とするため,授業は英語で行う ことを基本とすること。その際,生徒の理解の程度に応じた英語を用いるよう十分配慮する こと

NHK『鶴瓶の家族に乾杯』の前提について

NHK総合テレビで 隔週 月曜日 19:30~20:43に放映されている『鶴瓶の家族に乾杯』は、見ていて楽しい。鶴瓶というお笑いタレントのボスと、有名な女優やタレントやスポーツ選手等が、予告なしに田舎の家族を訪ねる番組である。訪ねられた人や家族はこんな有名人が身近なところに来たことに驚く。鶴瓶の関西風(弁)のトークも人々に親しみを持たせ、有名タレントがいつもの高みからではなくへりくだった姿勢から見知らぬ人に頼みごとをする戸惑いの表情も見ていて楽しい。高みにあった人が下に降りいて、有名人が庶民と対等に話すという設定が面白いのかもしれない。(結局は鶴瓶や有名人ゲストとわかり、関係はもとに戻るのだが)

ところが先週の鶴瓶と貫地谷しほりの「家族の乾杯」は、ニュージーランドがロケ地であったため、いつもの原理が全く働かず、鶴瓶と貫地谷しほりは苦労していた。鶴瓶と貫地谷しほりの知名度はニュージーランドでは皆無であり、NHKのことも知られていない。現地の人との会話は通訳を介しているので鶴瓶のトーク(コミュニケーション)の冴えもないし、ゲストもそれほど目立つ人というわけではないので、ニュージーランドの人からすると、変なアジア人が突然話しかけてきたとしか思えず、淡白な扱いがされる。見ている方も痛々しく、途中でチャンネルを回しそうになった。後半、親切なニュージーランド人家族2組に出会い、家に招かれ家族の話を聞かせてもらったので、何とか「家族に乾杯」の番組の形にはなったが、いつもの番組の冴え、面白さは全くなかった。

ただ、逆にこの海外(ニュージーランド)ロケによって、日本でのロケ(番組)が、どのような前提(有名人と庶民との上下関係)で成り立っているのかが鮮明にわかり、興味深かったとは言える。(以下、ネットより番組の紹介)

<番組の概要―『鶴瓶の家族に乾杯』は、NHK総合テレビで 隔週 月曜日 19:30~20:43に放送されている、バラエティ番組です。今年で23年目。レギュラー出演者は、司会:笑福亭鶴瓶さん、アシスタント:小野文恵アナウンサー。番組のテーマ曲(オープニング&エンディング曲)は、さだまさしさんの「Birthday」。「家族」をテーマにして、司会の鶴瓶さんとその時々のゲストが旅人として田舎を訪れ、地元の人々と触れ合いながら旅をしていく内容で、NHKによると、『この番組は、鶴瓶さんとゲストが、ステキ(素敵)な家族を求めて日本中をめぐる、“ぶっつけ本番”の旅番組です。』

 貫地谷しほりと行くニュージーランドぶっつけ本番旅―二人の旅は、オークランドから北へ1時間ほどの場所にある、Snells Beachからスタート!。鶴瓶さんは、ビーチで犬を遊ばせていた男性に話しかけてみますが、あまり話が弾みません。次に、ウォーキング中の女性に挨拶しますが、『ウェルカム』と返されただけで素通り・・・。各家の敷地がとても広い上に、周りには柵が張り巡らされていて、勝手に敷地内に立ち入ることが憚られ、さすがの鶴瓶さんも、アポなしで訪ねることは出来ません。貫地谷さんは、パン屋の店員のベッドリーさんに話を聞くと、自宅はここから車で10分ほどの場所にあり、母親と弟の3人暮らしだそうです。そこで貫地谷さん、エコな生活に触れたいので、お宅に訪問させて欲しいとお願いしますが、プライバシーの問題があるからと断られてしまいました。”最後の頼みの綱”と、「Brick Bay Wines」を訪ねることに。しかし受付で、オーナーの撮影許可が無いことには中に入れられないと、断られてしまいました・・・。うな垂れる鶴瓶さん、『23年間この番組をやってきて、こんなに難しいのは初めて』と、辛い心情を吐露。(以下 略)www.ohtashp.com/topics/kanpai/contents20190805.html

軽井沢について

夏の避暑地というと軽井沢を筆頭にあげることができるであろう。軽井沢には他の避暑地とは何か違う格式や伝統や品がある。また新しさもある。植わっている木々にも上品さを感じる。旧軽に建つ古くからの木造の建物、手入れの行き届いたコケの生した庭、あるいは贅沢を尽くした新築の別荘など、日常の生活とかけ離れた非日常の世界がそこはある。日本にもこんな贅沢な生活を送っている人がいるのだと、傍を通るだけでため息が出る。。

日本には上流階級が存在するあるいは日本は階級社会だと実感することが軽井沢に来ると感じることができる。同時にプリンスのアウトレットやハルニレテラスなどで最新の流行も味わうことができる。

私は上智大学在職中に、夏にはゼミ生と大学の上智軽井沢セミナーハウスに宿泊し、ゼミの合宿を開き、皆で広いゴルフ場の傍の道を自転車で通り、旧軽まで行き、別荘地を散策し、日本の階級社会の存在を実感した。上智の学生に軽井沢はよく似合う。軽井沢に親が別荘を持っている学生もいた。

軽井沢はセレブ的な嫌味はありながら、そのよさは拝金や成金的なところにはない。セレブがそのセンスや趣味のよさをさりげなく示し、それが自然や建築に現れているよさである。(そのよさについては、例えば、ソフィアート・ガーデン物語www.sophiart.co.jp/messay2012000.htm 参照されたい)

ただ、経済的な豊かさがあっての軽井沢であることは確かである。日本の経済が停滞している現在、軽井沢の勢いや輝きが失われていることは確かである。軽井沢への憧れはもうなくなっているのかもしれない。軽井沢の別荘族の年寄りらの姿は寂しげであり、若者の表情にすがすがしさは感じられない。。

追記ー1日前に雄大な浅間山の姿を間近に見たばかりだが、その浅間山が噴火したというニュースを聞いてびっくりした。大したことにならないことを祈る。