79歳を目前にして    松井 昭男 H23年11月 

私のブログは読んでくれている方は多くはないと思うが、時々読んだ方から、感想や関連した内容が寄せられる。近所の卓球同好会でご一緒したことがある松井さんもそのひとりで、高齢者に関して書いたことに対して、文章送ってくだくださった。7年前に書いたものとのことで、現在は卓球もやめられているので、お会いすることもなくなったが、お元気でお過ごしのようで、何よりである。その一部を転載させていただく(武内)

 渡辺淳一の「孤舟」に大手広告会社を常務取締役で定年退職した男が家に居ても何をしたらよいか分からず、既に生活の仕方を確立している奥さんが相手にしてくれないからといって携帯電話で知り合った若い女性と交際することになったことが書かれている。
 これはまたなんと情けない生き方ではないかと思う。高齢化社会になって時間の過ごし方が問題になっている。高齢者の生きがいとは何か? 生きがいとは1)生きるめあて 2)充足感をもたらすもの 3)生きて行くうえでの張り合いをもたらすもの 等考えられる。
各自の趣味を持ち健康で明るい家庭に恵まれることが生きがいを持てる環境となる。更に 生涯学習を志すと共に死への心的準備も必要となる。
財団法人シニアプラン開発機構が行った「サラリーマンの生きがいに関する調査」(1996年)を以下に示す。
生きがい有り  退職者 85%  配偶者 82%
生きがいの意味(二つまでの複数回答)
生きる喜び43%  生活に張り合い有り25% 心の安らぎ27%  自己実現24%
生きがいの内容(二つまでの複数回答)
 趣味51%、家庭40%、孫33%、健康作り26% 自然との触れ合い26%、 スポーツ12%
(配偶者は順に、48 、55 、 20 19 9)
このように各自の趣味を持ち健康で明るい家庭に恵まれることが生きがいを持てる環境となる。更に 生涯学習を志すと共に死への心的準備*1)も必要となる。
*1)死への準備教育―堀 薫夫(生涯学習と自己実現―放送大学教育振興会)
  死への恐怖(非常に恐ろしいと思う)
高校生19.1% 大学生15.3% 中年3.0% 高齢者2.8%
*2)イギリスのThe University of the Third Ageの理念と実態に関する考察―生津和子(京都大学 生涯教育学・図書館情報学研究 vol.4,2005年)
英国では勉学、就業に続く「第三」の時期を「人生の絶頂期」として捉えそれを高齢者の学習活動に展開して各地で市民大学形式で学んでいる。学習内容は語学、文学・哲学、美術等、頻度は週または月1回程度(イギリスのThe University of the Third Ageの理念と実態に関する考察―生津和子(京都大学 生涯教育学・図書館情報学研究 vol.4,2005年)
米国の老人教育学会誌より興味ある記事を以下に示す。
1. 定年教授の人生満足度と仕事、健康、収入、退職後の経過年数の関係Educational Gerontology 12 April 2011
2. 幸せな老後と4つの要素―健康、精神状況、社会的環境、余暇活動
Educational Gerontology vol.37,2011  
3. 定年教授を延長する人と退職する人
Educational Gerontology vol.28,2002
4. イタリー、ポルトガル、トルコの退職者の生活
Educational Gerontology vol.37,2011(原文なし―有料ネットに変更)
日本老年社会科学会誌より面白そうな書籍
1. スェ―デンの高齢者ケア;その光と影を追って
  西下 彰俊著  新評論、2007年7月発行
2. 教育老年学の展開  堀 薫夫編著  学文社、2006年9月発行
3. 老いを生きる、老いに学ぶこころ  村瀬嘉代子、黒川由紀子編著  創元社
    多くの人に老いを語らせていて大変面白い。
4. 高齢社会と生活の質―日本とフランスの比較から 
    佐々木交賢、ピェール・アンサール編著  専修大学出版局
5 新社会老年学;シニアライフのゆくえ
    古谷野 亘、安藤孝敏編著  ワールドプランニング
6「定年退職と家族生活」  日本労働研究誌 No.550/May 2006より
 妻達も家族という無償労働の主婦業から引退し、個人としての生き方を求めている。ボランティア活動も夫や子供達に尽くすだけが人生ではない。定年後余暇を楽しむ相手として配偶者をあげたのは夫が68%、妻が58%としている。
英国では第三ステージ(教育期間―労働期間に次ぐ)の大学教育として退職後の学習サークル活動が大変発達しているらしい。ブラジルでも社会人が容易に夜間大学で好きな勉強が可能となるシステムが確立している。日本でもこの方向に進んでいると思うが遅れをとっているのは明らかである。
以下大変面白かった本
1.「夫は定年、妻はストレス」 清水博子著 青木書店
2.「おひとりさまの老後」 上野千鶴子著 法研出版 
3.a.Lorraine T.Dorfman:The Sun Still Shone-Professors Talk about Retirementb.Paul B.Baltes:The Berlin Aging Study-Aging From 70 To 100
4.気楽に楽しんでいる読み物は池波正太郎の作品―剣客商売、鬼平犯科帳 等
その他健康を考えて軽いスポーツ、卓球、散歩を楽しんでいます。

入試の民間試験、学校の英語教育について

英語教育のことはよくわからないが、今話題になっていることについて、記録に残しておこう。
今の英語教育では、4技能が大切で「聞く」「読む」「書く」だけでなく、「話す」ことも重要といわれている。(下記参考参照)

入学者選抜改革における英語4技能の評価
<中央教育審議会では、平成26年12月22日の第96回総会において、「新しい時代にふさわしい高大接続の実現に向けた高等学校教育、大学教育、大学入学者選抜の一体的改革について(答申)」を取りまとめました。その中における英語関係を抜粋したものは以下の通りです>
<真に使える英語を身に付けるため、単に受け身で「聞く」「読む」ができるというだけではなく、積極的に英語の技能を活用し、主体的に考え表現することができるよう、「話す」「書く」も含めた4技能を総合的に育成・評価することが重要である。「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)」においては、4技能を総合的に評価できる問題の出題(例えば記述式問題など)や民間の資格・検定試験の活用を行う。また、高等学校における英語教育の目標についても、小学校から高等学校までを通じ達成を目指すべき教育目標を、「英語を使って何ができるようになるか」という観点から、4技能に係る一貫した指標の形で設定するよう、学習指導要領を改訂する。>(4skills.jp/education/innovation.html)

それで、大学入試でも、「話す」能力を試験しなければいけないということで、それに、民間試験が使われることになっている。
ところがその民間の基準がまちまちで、どうやって統一基準を定めるのか難しくなっている。
文部科学省は、「欧州言語共通参照枠」(CEFR)により、民間試験の基準を統一できると言ってきたが、どうもそれは疑わしい、と鳥飼玖美子先生が日経新聞(9月17日、朝刊)に書かれている。(添付参照)。

さらに、民間の試験だとその試験が厳正に行われたかの検証もどこかで行わなくてはならないであろう。意図的なでなくても、コンピューターの計算ミスなどもあるだろうから、その検証も必要である(最近も、英検で間違いが指摘されている)。
https://www.eiken.or.jp/association/info/2018/0918_cbt.html
50万人もの受験生が受験する試験に民間試験を取り入れることは、個々の大学が民間試験を取り入れるのとは次元が違う(この点に関して、鳥飼先生からご指摘いただいた)。

民間試験の導入はどのような経緯で決まったのであろうか。そこには利権がらみで決定したということはないのであろうか。

英語を「話す」ことが、英語の3技能(「聞く」「読む」「書く」)さえできれば、その基礎の上に簡単にできるということであれば、そんな曖昧な「話す」能力を大学入試で計る必要もないであろう。また、英語を「話す」教育は学校でそんなに重視しなくても、必要があれば人は学校外で自然に学ぶであろう。ーこれは従来型の考えだと思うが、その真偽を実証的に検証する必要もあろう(確かに、日本人で英語を話せる人は少ないが、それはこれまで英語を話す必要がなかった人が多いからで、必要に駆られた人は話せているのではないか?、など)

大学入試の英語の試験をどうするかということは、日本のこれからの教育のあり方を左右する大問題であろう。慎重に検討してほしい。
大学入試の英語をどうするかということは、日本の小中高大の英語教育のあり方を根本的に考えるところからなされねばならない

追記1
この問題に関して、いろいろな人に意見を聞いている。さまざま意見が寄せられている。

・『検証 迷走する英語入試――スピーキ ング導入と民間委託(岩波ブックレット)』が詳しく論じている。
・「受験料の高い試験で、地方差や家庭の収入差は 大きくならないのか」、「民間試験で万が一ミスが起きたときどうなるのか」、「結局高校の授業が民間試験対策講座になるのではないか」「今回の変更は、「なぜ大学入試改革ではなく、高大接続改革なのか」
・大学入学共通テストがこのまま進むと、高校の英語教育が民間試験のスコアを上げる対策に変質し、コミュニケーションに使える英語から遠ざかりますし、保護者の経済格差と住まいの地域格差が結果を左右するので、これからの高校生が可哀想でなりません。
・英語の試験が問題になっているようですが、大学入試(入学者選抜)の目的は、大学での教育、講義についていけるかどうかの能力判定だと思います。したがって、英語で講義を行うことの意義、それを行えるかどうかの大学教員の能力などが問題になるでしょう。こうした本質的な問題についての論議は教育界では希薄のように思います。英語教育専門家の問題ではないと思います。

追記2
南風原朝和編『検証 迷走する英語入試』(岩波ブックレット NO9842018,6月)を読んでみると、今回の文部科学省の英語試験の外部委託決定の経緯や背景がよくわかる。
1 その審議の途中経過をみると、きちんとした審議がなされないまま、闇で急に決め、有無を言わさず、一つの方向に持って行った様子が伺える。
2 そこには、民間のテスト業者の意向が働き、教育的な議論ではなく、利益誘導的な匂いがする。
3 これまで、大学入試は、大学入試センターが、全国の大学教員や高校教員を多数動員して積み重ねてきた入試問題作成やその実施の試行錯誤、努力を評価せず、まだ実施の検証もしていない新方式の試験の導入を決めている。
4 本来図る目的が全然違う民間のテストを、同一の基準で判定する危うさが、具体的に指摘されている。
5 本来、高等教育局の管轄である大学入試のことを、初等中等局が担当し、大学入試の意味(大学教育を受ける資格を判定するもの)を取り違えているように思われる。

追記3 9月26日の報道で、東大の方針が報じられている。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180925/k10011643741000.html
https://digital.asahi.com/articles/ASL9T5T8HL9TUTIL031.html
https://jp.reuters.com/article/idJP2018092501002634

追記 東大の公式発表原文は下記。
https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/admissions/undergraduate/e01_admission_method_03.html
中教審会長だった安西祐一郎は、読売ネットワークの取材で、上記を批判している。
→読売教育ネットワーク
http://kyoiku.yomiuri.co.jp/torikumi/jitsuryoku/iken/contents/55.php
→週刊ポスト
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180921-00000010-pseven-soci

参考
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瓢箪(その3)

家の出窓のひさし代わりに植え,蔓を伸ばしていた瓢箪であるが、その蔓を伝わり蟻が上に登り始め、途中で切らざるを得なくなった。
その為、瓢箪が十分な大きさに成長しなかったのは残念。
それを塀の上に並べて飾ると、通る人がニコニコしながら見て通る。
瓢箪にはその形からしてひょうきんなところがあるのであろう。
NHKの「あさイチ」(9月21日)のバックにも、瓢箪が飾られていた。
人生には、無意味なもの、ひょうきんなものも必要のように思う。

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カズオ・イシグロ『浮世の画家』を読む

カズオ・イシグロ『浮世の画家』(AN ARTIST OF FLOATING WORLD)(早川書房2006年)を読んだ。
イシグロの初期の作品で、舞台は日本の戦後で、主人公は戦前に名声を博した画家。比較的読みやすい内容。
ただ、戦前に戦意高揚に加担するような絵を書いたのではないかという主人公の自己阿責が主要なテーマで、出版当時のイギリスでは受けたかもしれないが、今の日本で読むと、そのような戦争責任論*は、今の時代のテーマではなく、少し、退屈。
「訳者(飛田茂雄)あとがき」が、ポイントを的確に掴んで書かれていて感心した(308〜309頁参照)。

「読書メーター」(https://bookmeter.com/books/424692 )より、比較的自分の感想に近いものを、転載する。

太平洋戦争の最中、国威をあげるために働いたと思われる画家の、戦後の生活の中で、自己批判というか、自己憐憫を思わせる心の揺れ。人は、時代の流れに簡単に揺り動かされる

客観的な描写が無くて、本当はどうなの?と最後までモヤモヤしてしまう。いつも、カズオイシグロの作品はこんなんですよね。 敗戦で、価値観が変わってしまった中で自分の過去をどう正当化すればいいのか悩んだり、周りに対してどういう態度をとればいいか迷ったり…でも、まわりはそんなに彼を意識してない?いたたまれない気分になる。

父、師匠からの独立。子供と弟子との精神的・物理的離別。浮世絵だけやっていたため、時勢に流された。自説と時説の混同。@挫折を味わった老人の独善、自己呵責、その克服と、新しい前向きの人生の探究という、内面的葛藤のドラマをみごとに描ききった。

現在進行中の話に、過去の出来事が交錯し、登場人物のキャラや関係がわかってくる。「遠い山なみの光」と同様、戦争前後のパラダイムシフトが大きく影響していて、人々(特に主人公)の逡巡が見て取れる。何があったか、何が原因でこうなったのか、など細かい理由は語られておらず、読者の想像に任されている。父親と娘、という設定が小津映画を髣髴とさせるが、藤田嗣治が戦争をモチーフにした絵画を作成したことも思い出したりした。過去の自分を正当化するのも否定するのも、どちらも辛いだろう…。

滑稽にすら思えるほどの「時代エゴイスト」の語り手。やるせないカタルシス。外から見た敗戦国ニッポン。井の中の蛙はいつも落とし所を用意してもがき苦しむ。シニカルで滑稽で。久しぶりに好もしい作品に出会った。

カズオ・イシグロの自己欺瞞に対する厳しさと優しさはこのデビュー作から一貫している。

*古い世代にとっては、この問題は、大きいのであろう。9月23日の朝日新聞には、次のような声が載っている。
< 東京・上野の東京都美術館で「没後50年 藤田嗣治展」を見た。乳白色の裸婦は日本的感性を西洋画で表現したものに見え、近代日本の苦悩と重なる。
 戦中に描かれた「アッツ島玉砕」の前で、若いカップルが「戦意高揚にならないね」と話していた。いま見れば、悲惨さに圧倒され反戦画にも見えてしまう。でも、あの時代は違った。画面から立ち上る悲壮さに「がんばろう」と覚悟した。藤田が渾身(こんしん)の力で国のために描いた作品だ。
 私は少年だったが、当時の雰囲気はよく分かる。国民は一方向に引っ張られ、合理的な判断はできなかった。大本営発表に象徴されるウソの情報で判断力が奪われた。この反省の上に戦後はあると思っていたが、最近の指導者たちの言動には驚くことも多い。
 先日、テレビで藤田晩年の肉声を聞き、歯切れいい日本語に胸がいっぱいになった。戦後、国策協力を批判されて日本を去り、仏国籍を取得した天才画家の大回顧展に思うことは多い。無職 市東和夫(千葉県 87)>

高齢者は日々どのように過ごしているのであろうか?

高齢になり、現役を引退してからの毎日の過ごし方をどのようにすればいいのか、迷うことが多い。他の人はどのようにしているのだろうかと思う。

私の場合、あまり学校や大学の同級生や職場の元同僚の先生に会う機会がないので同世代がどのように過ごしているかの情報交換ができない。
高齢者が同級生や元同僚に会うと、その時の話題は3つあるという。①健康や病院通いのこと、②年金やお金のこと、③孫のこと、-何か、話題が狭く、さびしい。
私の場合、テニスや卓球で一緒する高齢者は多いが、そこでの話題は、そのスポーツのことに限られる。今テニスでは、大坂なおみや錦織圭のこと、卓球ではラケットのラバーのことなどが話題になるが、それ以上の話題に発展することはない。

私の周囲の大学教員の先輩たちは、私より高齢にも関わらず、研究意欲が旺盛で、次々文章や論文を書かれたり、本を出版されたりする方が少なからずいて、敬服の念を禁じ得ない。

中央教育研究所の理事会でご一緒している鳥飼玖美子先生(立教大学名誉教授)より最近のご著書『子どもの英語にどう向きあうか』(NHK出版新書、2018.9)をお送りいただいた。
これからの子どもの英語教育に関して心配している母親たち向きに書かれた本であるが、その点に関する示唆的なことが語学や心理学や教育学の知識に裏打ちされながらわかりやすく書かれている。
それだけでなく、日本の英語教育導入をめぐる明治以来の英語教育史が詳しく書かれている。大変感銘を受けると同時に、いろいろ歴史的なことを学んだ。

昔「モノグラフ高校生」の調査でお世話になった深谷昌志先生(静岡大学名誉教授)は隔月で奥様(深谷和子先生)と研究会を開催され、ニュースレターを配信されている。
その中に深谷先生は、毎回、教育に関する古典のレビューを書かれている。それを読ませていただくと、自分がその教育学の名著を読んでいないことを恥ずかしくなり、今からでも読まなくてはならないと思う。
今回のニュースレター60号では、斎藤喜博の本が紹介されていて、是非読まなくてはと、感銘を受けた。その一部を転載させていただく。

子ども問題の本棚から 27
斎藤喜博 「可能性に生きる」 文芸春秋 昭和41年      深谷昌志
 本書は1952(昭和27)年から11年間、群馬県佐波郡島村(現在・伊勢崎市境)の「島小学校」の校長をした斎藤喜博(1911年~1981年)の自伝である。しかし、斎藤喜博が「島小」を去って半世紀、没後40年近くなると、「島小」も「斎藤喜博」も忘却の彼方となりつつある。しかし、教育実践の歴史の中で、一時期バイブル視もされたこの書とその背景を改めて読み直してみることにした。
○「島小詣で」をする人たち
本書によれば、「11年間に1万人近い人が、じかに自分の目で、島小の教育や島小の子どもや島小の教師を見た」という。特に赴任の翌年(昭和28年)に、斎藤が東大の宮原誠一研究室と提携して「全村総合教育」を推進したので、太田尭(東大教授、教育学会会長)や丸岡秀子(農村婦人問題などの評論家)などの著名人が島小を訪ね、村を活性化させている。さらに、「世界」(岩波書店)が、「村の小学校―島小学校の記録(昭和35年4月)」を特集しただけでなく、「文芸春秋」(昭和37年7月号)は、新進の芥川賞作家・26歳の大江健三郎が島小の実践を2日間見学したルポルタージュ・「未来につながる教室 群馬県島小学校」(後に書籍化)を掲載している。もちろん、斎藤喜博自身も「学校づくりの記」(昭和33年 国土社)などの著作を表しているが、こうした動きを背景として、「島小」は戦後の民主教育の聖地のような感じとなり、島小詣でをする教育関係者が跡を絶たなかった。(中略)
「太造じいさんとガン」の事例は、斎藤が赴任して8年が経ち、島小では教員集団にありがちな閉鎖性が打破され、教員間に教材研究を切磋琢磨する態度が定着したことを示している。船戸も赤坂から刺激を受け、学級の35人の「ひとりひとりのノートをたんねんに」読むようになる。「子どもたちは、どこかによいものを持っていた。ノートのすみにも、自分を出していた。私はその小さな子どもの考えを引き出しては授業をすすめた」という。斎藤は、教師たちにいつも、どの子も良さを持っている。その良さに気づき、良さを引き出すのが教師の使命だと説いている。「可能性に生きる」である。そして、斎藤の指導を受けて8年、前述の文章は、船戸が斎藤の理念を身につけたことを示している。(中略)
斎藤は、「くだらない形式的な通達や指示などはほとんど無視していた」。「8回もやった公開研究会も、教育委員会などには一度も案内を出さなかった」。そうした意味では「公立学校であるのに一つの独立王国だった」と回想している。教育学的に見て、理想に近い学校論だとは思う。(以下 略)