佐倉の歴史を学ぶ

今日(23日)は、敬愛の国際学部の村川教授の研究プロジェクト&ゼミの千葉の「佐倉探訪」に同行させていただき、千葉県の佐倉の歴史を実地に学ばせていただいた。
佐倉市は城下町で、歴史的な建物も多くあり(武家屋敷 旧堀田邸、佐倉順天記念館等)、
それらと。「佐倉ふるさと広場」(風車とひまわり畑)を見学した。
村川教授は、大学と地域の連携を考えているようだが、何らかの形で、それが実現すれば
うれしい(佐倉市に唯一ある大学は、敬愛短期大学であるという)
http://www.city.sakura.lg.jp/sakura/sakulove/timetrip.html

DSC_0657DSC_0668DSC_0704

未来に光を

震災や津波や原発や戦争のような自然的や社会的な大きな出来事(災害)に対しては、救いようがないような無力感に襲われるのは仕方がないとしても、個人が直面する不運(失業、離婚、事故、病気等)に対しては、個人の努力で克服できると、少なくても当人以外は思ってしまう。
人生に運、不運があるのは当たり前だし、不運を嘆くよりは、不運を克服する、ないしそれをやり過ごし未来に向かって努力する姿には、人は感動すら覚える。
ただ、当人にしてみれば、他人が考える以上に深刻な事態であり、他人にその内容を話したり相談したりすることすらできず、自己嫌悪に陥り、孤独で、暗い日々を過ごすことも多いのであろう。「死んでしまいたい」と思うこともあるかもしれない。
そのような不運の中にあり、もがいている姿を、勇気を持って表現することができれば、
それを読んだ人は、感銘を受け、陰ながら応援する気持ちになるであろう。
以前にこの欄で紹介したが、少し前、隣の家に1か月ほど失意を抱えホームステイしていたSさんは、アメリカに帰り、農場でパートで働きながら、自分を見つめ、自分の不運を神の与えてくれた試練とも考え、未来に光を見ようとしている。
一部転載(http://www.iamalive41.com/)
Some weeks I do just fine and feel like a fierce warrior on a battlefield taking out the enemy at every turn. Other weeks I struggle every single day to keep moving forward and not give up. The key is to remember that God is not going to allow me to fail. I just need to believe in myself no matter what anyone else thinks. I am not a weed. I am a beautiful flower just waiting to bloom. So are you. Let’s build one another up and grow together.

100円ショップで買い物

若い人はコンビニに行ってほっとするのかもしれないが、シニア(老人)世代にとっては100円ショップの方が、いろいろなものが安く買えて、気晴らしになると思う。
先日も、私は庭のゴーヤの蔓を巻き付ける支柱を5本ほど100円ショップで購入した。長さが2メートルもあるものが1本100で買えて、嬉しくなる。
家人が子どもの為に100円シップで買ったのは、駒(コマ)とカブト虫のオモチャである。駒(コマ)はネジを巻き離すと7色に発色しながら回る。カブトムシはネジで足や羽が動く。これらの精巧なオモチャが100円とは、驚くしかない。

DSC_0619DSC_0614DSC_0613

学期末の授業の方法

学部・大学院時代の私の指導教授の松原治郎先生は有名な方で、大学外の講演によく呼ばれていらした。その松原先生が、「外の講演より大学の授業の方が、大変」とおしゃっていたのが、印象的で、今でもよく覚えている。
外での講演は、自分の研究や知識の一部をコンパクトにまとめて話せばいいけれど、大学の授業は何回もあり(昔は1年通しの4単位の授業が多く、25回くらいあったように思う)講義内容のネタが尽きてしまう、というようなことをおしゃっていた。それで先生は、よく講義の最後の方は、指導している学生や院生の卒論や修論の内容を紹介されることが多かった。
今は、大学の授業の単位もほとんど2単位で、15回と昔に比べ回数が少なく、学生に話足りないことも多くなっている。それでも、学生の方は、15回も同じ先生から話を聞くのはうんざりという感じで、学期末は「アクティブ・ラーニング」が必要になっている。
私の場合は、アクティブ・ラーニングの手法は会得していないので、自己流の対処法となる。今日(20日)の敬愛大学での「教育原論」は、「学校の官僚制化」というテーマで、あらかじめ6つの問を書いたリアクション用紙を配り、その内容を、テキストと配布した資料(A3のもの3枚)から読み取り、各自書いてもらうという方法をとった。
通常の私のやり方であれば、テキストと資料の要点を黒板に書きながら講義し、リアクションも自由に(質問や感想を)書いてもらうという方法になるのであるが、今日は私の講義(しゃべり)は少なくした。
最初に学生を指名してテキストを読ませ、皆に目で追ってもらった。次に、プリントを読みリアクションを書く時間をとった後、各自書いたリアクションの内容を、一問2名ずつ、黒板に書いてもらい、それを皆で確認し、添削して、それに補足説明をするという方法をとった。学生が今日の内容をどの程度理解してくれたかは、これからリアクションの内容を読み、確認する。

教育原論 リアクション(7月20日)     学籍番号       名前

 テーマ  学校官僚制と組織     (テキスト p95-98)

1 学校の官僚制(化)の特質とは何か。

2 なぜ、学校は官僚制化するのか。そのメリットとデメリットは何か。 

3 学校の教育目標をあげなさい。 

4 3(学校の教育目標)はなぜあいまいなのか? そこからどのようなことが生ずるのか? 

5 あなたが、新しく作ったサークルのリーダーだとすると、そのサークルが存続する為に、どのようなことに心がけるのか。(リーダーに関するプリント参照) 

6 チームとしての学校について、どう思うか? 

他の人からリアクションを評価してもらう。

 評価者名           評価内容

 

テレビのない生活

知り合いに家にテレビのない生活を送っている人がいる。でも、それは例外に近く、多くの 人は、テレビのない生活は考えられないのではないか。「環境音楽」のように、テレビ が付けっぱなしになっている家も多いと思う。 一人暮らしの年寄りは、テレビは家族や友だちのようなものであり、テレビの「おはよ うございます」という言葉に、「おはよう」と返して、生活している人が少なからずい る。 家で普段はあまりテレビを見ない私でも、家で一人になるとテレビばかり見ているとい うことがしばしばある。(ただ、大学の研究室にはテレビはなく、大学にいる時は、一 人でもテレビを見ることはないし、見たいとは思わない) たまたま2日間、テレビのないところで過ごした娘が下記のようなことを言っていた。

「個人的にはテレビがない生活の方が、自然の音が聞こえてよかった。最近、スマホが あればニュースも見ることができるし、インターネットにも接続できるからね。テレビ がなければ本読むかもしれない。」