『学生文化・生徒文化の社会学』の刊行

このたび、敬愛大学から出版助成をいただき、敬愛大学学術叢書の1冊子として『学生文化・生徒文化の社会学』(ハーベスト社、2014年3月)を刊行することができた。敬愛大学に心より感謝する。
 
本書の構成は、学生文化や大学に関するものを第Ⅰ部とし、第Ⅱ部に生徒文化に関するもの、そして、子どもや生徒を外から規定する家庭や学校に関するものを第Ⅲ部、さらに、コラム的なものを第Ⅳ部に置いた。上智大学を退職する折、手作りで作った冊子が元になっている。

 第Ⅳ部は、このHPからコラムを選択したものである。最初は、様々な分野のものを入れていたが、本の題にそぐわないと感じ、題に合致するものだけを選択したため、少し硬いものになった。

それぞれの章を通して、子どもや児童・生徒、そして学生の実態や心情に関して、多少なりとも再考し、新しい知見を得ていただけたら嬉しい。
それぞれの論稿の執筆には、これまで、多くの方からのご指導や支援によっている。感謝したい。

次のような「あとがき」を書いた(転載)

「武内さんは、ふわふわしたものをふわふわした方法で捉えますね。それは他の人が真似のできない名人芸です」と、後輩の小林雅之氏(東大教授)から言われたことがある。
 私の学んだ東京大学の教育社会学研究室の学風は、教育を社会的事実(もの)として捉え、それに厳密な社会科学の方法でアプローチし、教育のシステムや制度のメカニズムを明らかにし、それに基づく政策提言を行うというものである。それは今の社会や教育界や教育現場で求められているものを的確に把握し、改革の方法を提示するものである。そのような研究室の学風の中で、私の研究関心や研究方法は少しずれていた。
 自分との関わりのある現象の中に、自分の研究テーマを探していった。高校生や大学生の時、自分の育ってきた地域や家庭の文化と、通った高校や大学の文化との間には大きな文化的ギャップを感じたが、それが研究テーマの底流にある。
 指導教授の清水義弘先生や松原治郎先生の社会調査の手伝いをし、また深谷昌志先生、萩原元昭先生、門脇厚司先生らの子ども・青年調査のメンバーに加えていただき、またその後自分でも大学生調査を企画し、主に意識調査(アンケート調査)によって、青少年研究を進めて来た。
アンケート調査の限界はさまざまに感じながらも、データを検証する中で、新しい発見も多くあった。アンケート項目の変数間に関連が見出せても、それは疑似相関ではないかと疑い、統制変数を投入し、多変量分析を駆使して、相関関係や因果関係を明らかにしてきた。
生徒や学生の意識や行動を規定する要因はさまざまあり、まだ生徒文化や学生文化に関しては解明できていない点も多い。現在も、大学生と接し、研究仲間と大学生調査をして、新しい発見を目指している。 
 社会学者の副田義也先生が、マンガ『嗚呼!! 花の応援団』の分析(『遊びの社会学』1977年)で、遊んでばかりいる大学生でも大学に通う意味はある。もし彼らが大学に入学せず、社会に出てしまったら、どのような犯罪を起こすかもしれない。大学は、「時間の浪費の制度化」」をしているところあって、退屈で時間を持て余す若者の犯罪防止制度としての十分機能している、と書かれているのを、院生時代に読んで、社会学的分析の面白さを感じたことがある。
 その中でも言及されていたが、退職した老人が世の中で多くなって、そのまま放置しておいたら、不良老人たちが何をしでかすかわからない。写真でもスポーツでも生涯学習でもブログでもなんでもいいが、何かに没頭させておけば、社会への不満や批判に目がいかず、今の社会(体制)は安泰であるという。
 私のブログは、そのような社会の安全弁機能、社会体制維持機能を目指しているわけではないが、本書の第4部が退屈な日々の暇つぶしになり、社会学や教育社会学の面白さを少しでも感じて下されば嬉しい。
 学校、大学や生徒、学生は日々変化している。したがって過去に書かれたものは現代に通用しない部分も多い。
 しかし、学校、大学や生徒文化、学生文化の本質は不変(普遍)の部分もあり、本書の内容を素材に、今後の学校、大学と生徒、学生のあり方に関して、いろいろ議論していただければありがたい。  2014年3月 武内 清

関西大学教授・京大名誉教授の竹内洋氏より,あたたかい励ましのお言葉をいただいた。感謝したい。
<武内先生、このたびは、ご高著『学生文化・生徒文化の社会学』をご恵贈いただきありがとうございました。
あとがきに「ふわふわしたものをふわふわした方法で捉まえる」とありましたが、これこそ文化をつかまえる極意ではないでしょうか。先生の大学生文化研究がおもしろい所以です。ますますのご健筆を。竹内洋>

深谷昌志先生(東京成徳大学名誉教授)からも有難いお言葉をいただいている。
<貴書拝読しました。これまで読んできたものも含まれていますが、改めて、読み
直してみると新鮮ですね。学生文化という新しい領域を開拓してきた足 跡がよく分かります。20年前の学生の姿は今となると復元できないだけに貴重ですね。>

ソフイーも少し緊張気味。でも不満そう。「本より何か食べ物の方がいい]

雄勝ローズファクトリーガーデン

今度「日本子ども社会学会」大会のシンポ1で報告いただく徳水博志先生より、下記のメールをいただいた(転載させていただく)

<6月28日のシンポジウムで報告させていただく、元雄勝小学校の徳水博志です。
さて、本日は先生の研究室のホームページを拝見させていただいて、バラとクレマチスを発見しました。抑制のきいた論考と花の写真の組み合わせに、静謐さと情熱を感じました。
実は私は妻と一緒に震災後に、復興プロジェクト「雄勝花物語」を立ち上げました。今はクレマチスが8種類と2,3本のバラが咲いていますが、6月に入ると100本のバラが全部咲きます。バラが咲いたらアップする予定です。ご覧ください。
6月にお会いできることを楽しみにしています。
ホームページ;一般社団法人「雄勝花物語」雄勝ローズファクトリーガーデン
            ogatsu-flowerstory.com/   徳水>

 このホームページを見ると、雄勝ローズファクトリーガーデンは、とても大規模な、センスのいい、意匠を凝らしたガーデンであることがわかる。さらに、ガーデンとともに、震災支援の多くのイベント(緑化支援・被災者支援、防災教育・ボランティア活動受入 、体験教室・セミナー>が企画され、意義の場所であることがわかる。
草の根のこのような活動が、東北の復興を支えているのであろう。

以前に紹介した知り合いの、東北復興支援ソングを思い出した。再度掲載しておく。

『冬冬の夏休み』(侯孝賢監督作品、1984年)

敬愛大学の「地域社会とこども」という授業では、テキスト(住田正樹編『子どもと地域社会』、学文社、2010年)を使い、学生にグループで発表してもらっているが、今週は予備日としたので、私が何か話題を提供しなければならない。
前々回は子どもの遊び、前回は子どもギャング集団がテーマだったので、その流れで、外国の子どもの遊びやに日本の昔の遊びや遊び集団が紹介できればいいと思い、『子ども問題事典』(ハーベスト社)他いくつかの文献にあたったが、なかなか適当なものに行き当たらない。
そこで思いついたのが、昔見て感銘を受けた映画{『冬冬の夏休み』}の子どもの遊び。
私の世代の戦後の日本の地域で遊ぶ子どもと同じものが、台湾の子どもの様子で描かれていた。子ども達は、群れて川で遊び、地域や家族の大人たちに見守られて成長していく。日本で失われたものが台湾で残っているのかと、驚いた場面がいくつかある。
これを学生達に見せて、「日本の昔の子ども達の遊びもこのようなものだった」と伝えられないかと考えた。さらに、台湾という国の風土や歴史も参照しながら、日本と台湾の教育、子どもの遊びも比較も出来れば、いいと考えた。
 しかし、私に台湾に関する知識が乏しい。数年前に1度、研究仲間と台北に行き、その歴史の一端にも触れ、台湾の学校もいくつ見学したが、台湾の教育や子どもについて体系だって話せる知識は私にはない。どうしたものか、迷っている。

映画『冬冬の夏休み』については、森田伸子氏の文学的で卓越した分析がある(『テクストの子ども』世織る書房、1993年p188~200)。

ネットで検索すると、誰が書いているのかわからなかったが、わかり易い解説が見つかった。この映画は、宮崎駿の「トトロ」との類似性が言われているという。それを、以下転載しておきたい。(http://blogs.yahoo.co.jp/pkddn557/59114717.html)

『冬冬(トントン)の夏休み』 侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督作品
製作年:1984、時間:98分、製作国:台湾、日本初公開日:1990/8/、
 1984年の夏、小学校を卒業した冬冬(トントン)は、台北駅で妹の婷婷(ティンティン)と電車に乗った。夏休みを田舎の祖父の家で過ごすのだ――。美しい田園風景のなかで繰り広げられる、懐かしさと優しさに満ちた日々。多くの人に愛される作品。(侯孝賢監督の“青春4部作”の第2作目。)
 小学校を卒業した冬冬(トントン)が、母親の病気のために妹の婷婷(ティンティン)と共に田舎の祖父の家で夏休みを過ごし、そこで繰り広げられる生活の日々を描き出した作品。
 木々の緑、その中を走る鉄道など、実にのどかで懐かしさを感じさせる田舎風景を舞台に、冬冬をはじめとした子供たちの触れ合い、厳格なおじいさんの家での生活、頼りないが冬冬の相手をしっかりやってくれる叔父とその恋人碧雲との行動。
 ノスタルジックさと子供たちの愛くるしさが全面に描き出された、優しさと詩情に満ちた傑作となっています。
 その途中で出てくる2人組みの強盗、叔父が碧雲を妊娠させてしまったことによるトラブル、そして強盗2人組みが実は叔父の幼馴染であり、悪いこととは分かっていてもその強盗をかばう叔父の姿…。 一見するとシリアスなこの場面も子供の視点、かつ淡々と描写しているのでそこまで重苦しい雰囲気にはなりません。 そして、こういった展開を経験しながら何かを考え成長していく冬冬。
 ほのぼのとした物語にピリッとした味わいが無理なく融合し、この作品を素晴らしい逸品へと仕上げています。 
子供たちの何と可愛らしいことか! 田舎町につくなり、地元の子供たちとすぐに意気投合する冬冬。冬冬のおもちゃと交換するための亀の競争、河での遊びと木登り…。どこをとっても微笑ましいばかりです。
 冒頭の小学校の卒業式で「仰げば尊し」を合唱するシーンも印象に残ります。 歌詞は中国語のようですが、これは日本統治時代の名残でしょうか? エンディングで「赤とんぼ」のメロディも流れ出し、台湾の映画なのにまるで日本の田舎を舞台とした映画のような感覚にとらわれてしまいます。
 この映画が何よりも懐かしくほのぼのとした心地良い気分にさせてくれるのは、そういった要素も関係してるかもしれません。 
よく「宮崎駿の『となりのトトロ』に似ている」という感想を聞きますが、確かに雰囲気はよく似ていますね。(本作の方が製作時期は早いですが)
 ◆関連作品◆ ・『風櫃の少年』 ・『童年往事 時の流れ』 ・『恋恋風塵』

 

日本子ども社会学会21回大会

日本子ども社会学会の創立20周年の記念大会を来る6月28日(土)と28日(日)に、私の勤める敬愛大学で開催する。記念大会ということで、3つのシンポジウムを、28日午後に公開[無料]で開催する。その3つとは、以下である。

シンポ1   「震災後の子ども、学校、地域社会」  
2014年6月28日(土) 13時30分~15時30分 
  報告
   徳水 博志  元石巻市立雄勝小学校  被災児への心のケア 
   堀 健志 上越教育大学 被災地の学校教育がつきつけるもの 
   櫛田 久代 敬愛大学大学教育における被災地ボランティア活動
長谷川 信  千葉市生活文化・スポーツ部 防災教育の視点から 

シンポ2  「子どもに食(フード)と農(アグリ)をどのように教えるのか」
     2014年6月28日(土) 13時30分~15時30分
  報告
     紺野 和成   日本政策金融公庫 千葉支店
三幣 貞夫   南房総市教育委員会
     熊澤 幸子   東京成徳大学

シンポ3 「子どもの昔と今―子ども研究の饗宴」
    2014年6月28日(土)15時40分~18時00分 
 報告
   藤田 英典   東京大学名誉教授、(日本教育学会会長) 
      生活環境の構造変容と子ども問題の諸相
   池田 曜子   流通科学大学  現代の子ども
   谷川 彰英   東京成徳大学  、柳田国男の子ども論
   原田 彰   広島大学名誉教授  日本の知識人がみた〈子ども〉
  討論者 
     深谷 昌志 東京成徳大学名誉教授 
     多賀 太  関西大学

 その他に6つのラウンドテーブルも公開で開催する。
 その他の自由発表も、臨時会員として参加費2000円(発表要旨付)で聞くことができる。
 詳細は、大会のホームページ
(http://www.js-cs.jp/wp-content/uploads/2013/10/jscs2014p.pdf)を参照のこと。

多くの方の参加を、お待ちする.

『女のいない男たち』(村上春樹)を読む。

村上春樹の小説が、1年ぶり(短編小説としては9年ぶり)に出版された。さっそく購入して読む。
村上ワールドは健在だ。
「女のいない男たち」は、「女抜きの男たち」ではなく、「いろいろな事情で女性に去られてしまった男たち、あるいは去られようとしている男たち」(p9)の物語。
男たちにとって、女性の存在はとても大きい。女性がいなくなった世界がいかに空虚な世界なのかが、描かれている。村上春樹らしい恋愛小説である。

登場人物の女性は、皆美しく、知的で、思慮深く、魅力的だ。それに対して、村上春樹の男に対する目は厳しい。男には奥行きの深さ(教養)が、要求される。
「僕の奥さんは意志が強く、底の深い女性だった。時間をかけてゆっくり静かにものごとを考えることのできる人だった」、(妻の恋人は)「たいしたやつではないんだ。正直だが奥行きに欠ける。なんでもない男に心を惹かれ抱かれなくてはならなかったのか」

描かれている主人公の男たちは、素敵な女性に去られてしまって、生きる意欲も失い、死んでしまうものまでいる。その女性が彼のもとを去った理由がよくわからない(つまらない男にひっかかったのかもしれない)。
それでも、男は女性への思いと敬愛を捨て去ることはない。村上春樹は、すごいロマンチストだ。フェミニストと言ってもよい。

最後の2編(「木野」「女のいない男たち」)は、トーンが少し違っている。「木野」は祟りの物語である。猫が去り、蛇が多数出没し、場所が欠けてしまい、悪霊に祟られ、それを払う旅に出る。
「女のいない男たち」は、主題のまとめのようになっていて、文章が村上春樹特有の修辞に充ちていて、感心する。「ある日突然、あなたは女のいない男たちになる。その日はほんのわずかな予言もヒントも与えられず、予感も虫の知らせもなく、ノックもなく、、」

上智大学の仏文科の女子大生(テニスサークルに所属)が、育ちのよいお嬢様の典型として描かれている(p79)のは、少し違うかなと思ったが。