読解力のなさ=浅はかな読み(自分のこと)

自分の読解力のなさにあきれることがある。小説を読んでもそうだし、映画を見ても、肝心なところがわからず、人の話で「あー、そうだったのか」と納得することが多い。学校で国語の成績が悪かったのも無理がない。宮崎駿の映画「コクリコ坂から」を、親戚の小学校5年生の子と観に行った時も、肝心のところがわからず、小学校の5年生に教えられ、納得したことがある。
 いまだによくわからない小説がある。漱石の夢十夜の第6話である(朝日新聞の3月16日に掲載されていた。下記に全文コピー)。この最後のところがわからない。
 昔、「あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋っているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ」の部分に感心して、「教育もこのように子どもの中に眠っているものを彫りだすようなもの」という見方があると授業で説明した時、ひとりの学生から「その読みは違うのではないか。漱石が言いたいことは、最後の言葉(「明治の木には到底仁王は埋っていないものだと悟った。それで運慶が今日まで生きている理由もほぼ解った」)ではないか、と指摘された。その学生の指摘に、なるほどと思ったことがあるが、実のところ、その理由がまだ判然としない。 

すぐれた素材が埋まっていない時代は、すぐれたものを作り出すこと(教育)や人(運慶)が必要ということを漱石は言いたかったのであろうか?

ネットでは、次のような解釈も見られる。(http://azapedia.net/481.html)
<第六夜ー運慶が仁王を刻んでいるというのは、作るのではなく掘り出すのだという芸術感がうかがわれる。天下の名工 運慶は、こしらえたものではない、万物の造形主が作った仁王を彫り出した=創り出したのである。芸術の究極の理想であるが、結びの「ついに明治の木にはとうてい仁王を埋まっていないものだと悟った」というのは、明治の文壇・美術界への痛烈な批判であり、運慶という理想は生きていても明治の人間は真の芸術・文学を創り出すことはできていないということになる>

夏目漱石「夢十夜」 第六夜(朝日新聞、2016年3月16日より転載)

 運慶(うんけい)が護国寺(ごこくじ)の山門で仁王(におう)を刻んでいるという評判だから、散歩ながら行ってると、自分より先にもう大勢(おおぜい)集まって、しきりに下馬評(げばひょう)をやっていた。
 山門の前五、六間(けん)の所には、大きな赤松があって、その幹が斜めに山門の甍(いらか)を隠して、遠い青空まで伸びている。松の緑と朱塗(しゅぬり)の門が互いに照(うつ)り合って美事(みごと)に見える。その上松の位地(いち)が好(い)い。門の左の端を眼障(めざわり)にならないように、斜(はす)に切って行って、上になるほど幅を広く屋根まで突出(つきだ)しているのが何(なん)となく古風である。鎌倉時代とも思われる。
 ところが見ているものは、みんな自分と同じく、明治の人間である。その中(うち)でも車夫(しゃふ)が一番多い。辻待(つじまち)をして退屈だから立っているに相違ない。
 「大きなもんだなあ」といっている。
 「人間を拵(こしら)えるよりもよっぽど骨が折れるだろう」ともいっている。
 そうかと思うと、「へえ仁王だね。今でも仁王を彫るのかね。へえそうかね。私(わっし)やまた仁王はみんな古いのばかりかと思ってた」といった男がある。
 「どうも強そうですね。なんだってえますぜ。昔から誰が強いって、仁王ほど強い人あ無いっていいますぜ。何(なん)でも日本武(やまとたけの)尊(みこと)よりも強いんだってえからね」と話しかけた男もある。この男は尻(しり)を端折(はしょ)って、帽子を被(かぶ)らずにいた。よほど無教育な男と見える。
 運慶は見物人の評判には委細頓着(とんじゃく)なく鑿(のみ)と槌(つち)を動かしている。一向(いっこう)振り向きもしない。高い所に乗って、仁王の顔の辺(あたり)をしきりに彫り抜いて行く。
 運慶は頭に小さい烏帽子(えぼし)のようなものを乗せて、素袍(すおう)だか何(なん)だか別(わか)らない大きな袖(そで)を脊中で括(くく)っている。その様子が如何(いか)にも古くさい。わいわいいってる見物人とはまるで釣り合が取れないようである。自分はどうして今時分(いまじぶん)まで運慶が生きているのかなと思った。どうも不思議な事があるものだと考えながら、やはり立って見ていた。
 しかし運慶の方では不思議とも奇体(きたい)とも頓(とん)と感じ得ない様子で一生懸命に彫(ほっ)ている。仰向(あおむ)いてこの態度を眺めていた一人の若い男が、自分の方を振り向いて、「さすがは運慶だな。眼中に我々なしだ。天下の英雄はただ仁王と我れとあるのみという態度だ。天晴(あっぱ)れだ」といって賞(ほ)め出した。
 自分はこの言葉を面白いと思った。それでちょっと若い男の方を見ると、若い男は、すかさず、 「あの鑿と槌の使い方を見給え。大自在(だいじざい)の妙境に達している」といった。
 運慶は今太い眉(まゆ)を一寸(すん)の高さに横へ彫り抜いて、鑿の歯(は)を竪(たて)に返すや否や斜(は)すに、上から槌を打ち下(おろ)した。堅い木を一(ひ)と刻みに削って、厚い木屑(きくず)が槌の声に応じて飛んだと思ったら、小鼻(こばな)のおっ開(ぴら)いた怒(いか)り鼻(ばな)の側面が忽(たちま)ち浮き上がって来た。その刀(とう)の入れ方が如何にも無(ぶ)遠慮であった。そうして少しも疑念を挟(さしはさ)んでおらんように見えた。
 「能(よ)くああ無造作に鑿を使って、思うような眉(まみえ)や鼻が出来るものだな」と自分はあんまり感心したから独言(ひとりごと)のように言った。するとさっきの若い男が、「なに、あれは眉(まみえ)や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋(うま)っているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出すようなものだから決して間違うはずはない」といった。
 自分はこの時始めて彫刻とはそんなものかと思い出した。果(はた)してそうなら誰にでも出来る事だと思い出した。それで急に自分も仁王が彫って見たくなったから見物をやめて早速家(うち)へ帰った。
 道具箱から鑿と金槌(かなづち)を持ち出して、裏へ出て見ると、先達(せんだっ)ての暴風(あらし)で倒れた樫(かし)を、薪(まき)にするつもりで、木挽(こびき)に挽(ひ)かせた手頃(てごろ)な奴(やつ)が、沢山積んであった。
 自分は一番大きいのを選んで、勢いよく彫り始めて見たが、不幸にして、仁王は見当らなかった。その次のにも運悪く掘り当(あて)る事が出来なかった。三番目のにも仁王はいなかった。自分は積んである薪を片っ端から彫って見たが、どれもこれも仁王を蔵(かく)しているのはなかった。遂に明治の木には到底仁王は埋っていないものだと悟った。それで運慶が今日まで生きている理由もほぼ解った

ウキペディアの英訳も転載
The Sixth Night
The dreamer hears that Unkei is carving Niō guardians at the main gate of Gokoku-ji. He stops to see, and joins a large crowd of onlookers. Unkei, dressed in Kamakura attire, is suspended high up on the work, carving away industriously, oblivious to the crowd below. The dreamer wonders how Unkei can still be living in the modern Meiji period. At the same time, he watches in awe, transfixed by Unkei’s skill with mallet and chisel. A fellow observer explains that Unkei is not really shaping a Niō, but rather liberating the Niō that lies buried in the wood. That’s why he never errs. On hearing this, the dreamer rushes home to try for himself. He chisels through an entire pile of oak, but finds no Niō. He concludes, in the end, that Meiji wood is hiding no Niō. That’s why Unkei is still living.