社会学的類型

 社会学の1つの面白さは、少し極端な類型作って、現実をみるところにあるのかもしれない。
 新進の社会学研究者・阿部真大著の『地方にこもる若者たち』(朝日新書、2013年)は、そのような類型が随所にあり、面白い。
 地方の若者にとって、イオンモールとユニクロが、休みの日に過ごす場所として、それも「非日常の余暇としてではなく、日常生活の延長線上に」位置づけ、ほどほどの満足を得ているという分析には、感心した。
 
「80年代 反発の時代 BOØWY」→「90年代 努力の時代 B‘z」→「90年代後半 関係性の時代 Mr. Children」というおおざっぱな類型化にも、感心した。
 80年代は、管理社会に反発し、そこから逃走を志向する時代。それを見守る女性(母性)もいる。「社会への反発や女性からの承認によって退屈な世の中をやり過ごす時代」(p106).
 90年代は、管理は柔軟化し、反発すべき対象を失い、とにかく努力して何かを達成する時代。足かせになる女性(母性)はいらない。「社会への反発というモチーフは一切なく、現状のシステムのなかでいかに生き抜き、自分の夢を叶えるかということが歌われる」(p.115)。大きな物語から小さな物語の時代に移ったのであろう。
 90年代後半は、「不安定な社会において変わらないもの(キミとボクの世界」を探し求め、そこに精神の安らぎを見出す『関係系』](p.128)の時代だという。
 歌詞の分析から、このような鮮やかな類型を導き出す、新進の社会学研究者のセンスに脱帽。
 さっそく、You Tube で、この3つのグループの歌を聴いてみた。ミスチルを除き、歌詞が聞き取りにくく、この分析が妥当なのかどうかわからなかった。
 この3つのグループは、その時代の若者に圧倒的な人気のあったバンドのようだが、私には、どこがいいのかピンとこない。歳なのであろうか?。若者を語る資格はないのかもしれないとも思った。しいていえば、BOØWYがハードロック調で、自然に聴くことができる。
 歌に詳しい娘に、BOØWYやB‘zの音楽を聴くのかと聞いてみたが、まったく聴かないという。もうこの時代、一世を風靡する歌というものはなく、好みが分化しているのかもしれない。(とはいっても、吉田拓郎やマドンナの曲を聴いていると、「なんて 古い曲を聴いているの?」と、娘から疑問と非難の混じったまなざしが向けられる。)