研究者冥利に尽きる(その2)

2017年2月19日のブログで紹介した山本雄二氏の著書『ブルーマーの謎〈女子の身体〉と戦後日本』 青弓社)は学術的な労作である。そのような優れた研究書は、後年になっても参照されることがある。研究者冥利に尽きる。今日(4月23日)の新聞記事の該当箇所を転載しておく。

<ブルマーの歴史に詳しい関西大学の山本雄二教授(教育社会学)は、「(反対の声が大きくなった)発端は日本人学校だったが、当時広がっていったセクハラの概念とつながり、学校によるブルマーの強制が『組織的なセクハラ』とみなされる可能性が高まり、生徒の声を無視できなくなった」と読み解く。 山本教授によると、そもそもブルマーは、1900年代前半、女子体育の普及に努めた井口阿くりが広めた。着物とはかま姿だった女子生徒が、ブルマーのおかげで体を動かしやすくなったとされる。1964年の東京五輪がきっかけで女性の肉体美が肯定されるようになると、当時の全国中学校体育連盟の支援を受けた学生服メーカーが体に密着したブルマーを推進し、全国に広めたという。 ブルマーの生産シェア1位だった大手学生服メーカー菅公学生服(岡山市)では、70年代後半~90年代後半、体操着として使うブルマーを製造。ハーフパンツの需要増加とともにブルマーの需要が減り、2013年に出荷を終えたという。>(「消えたブルマー 中3女子の「はきたくない」に裁判官は」朝日新聞4月23日朝刊 )