漱石「こころ」の解釈

朝、時間がなく、なかなか「朝ドラ」を見る機会がないが、今回の「朝ドラ」(「ごちそうさん」)は、本郷が舞台で、女学生の家に帝大生が下宿して恋が芽生える話しらしい。それは、漱石の「こころ」と同じではないか、と作家の林真理子が書いている(「夜ふけのなわとび」週刊文春10月24日号、p54-55)。その「こころ」解釈が面白い。

「下宿屋の奥さんは日清戦争で戦死した軍人の未亡人なのだ。、、まあ、最初からそういう意図があったと思われ、小説では結構したたかに描かれている。、、この家では、みんな一緒にご飯を食べるのだ。お嬢さんはものすごい美人とある。、、若い帝大生が二人が、三角関係に苦しむのは当然のなりゆきなのだ。強いていえば素人下宿を始める一見上品な未亡人がいけない。下宿人をステップアップに使うからだ。、、、時折響くお嬢さんの琴の音。静を破るパフォーマンスの効果を、下宿屋の未亡人とお嬢さんは知っていたに違いない」

漱石の「こころ」は、高校の国語の教科書にも取り上げられ、友情と恋愛の葛藤や、男の同性愛的傾向(土居健郎)、ジラ―ルの三角関係モデル(作田啓一)などで、解釈されることが多いと思うが、下宿の奥さんとそのお嬢さんの策略という解釈は珍しいのではないか。高校の教室で、このような解釈が出たら、どう扱うのか?