教養について

 読み返し、最初に読んだ時の感動を思い出したり、その時の心の安定や癒しを再現したくなる愛読書は誰にもあるのかもしれない。 仙台にいる水沼文平さんから、下記のメールをいただいた。
<村上春樹の「やがて哀しき外国語」は好きな本のひとつで私も読み返したことがあり
ます。読み返しで一番は司馬遼太郎の「街道をゆくシリーズ」です。読んでいると精神が安定し、トランキライザーの役割も果たしてくれます。
 来週、津軽の旅に出ます。太宰の足跡を訪ね、岩木山をいろんな角度から眺め、津軽三味線を聞き、そして十三湖と竜飛岬を見たいと思っています。>

 私の場合、水沼さんほど教養の幅や深さがなく、司馬遼太郎や太宰治まで射程が広がっていない。若い頃は、夏目漱石や古井由吉の小説や江藤淳の評論をよく繰り返し読み、精神の安定を図った。人それぞれ、そのような精神の安定剤をもっていることであろう。読む本によって、その人の教養が知れてしまう。

 同じような役割を果たす映画というものがあるのだろうか。同じ映画を繰り返し見ることはどのくらいあるのであろうか。これも人によるのであろうが、私の場合あまりない。好きな監督(たとえば、ヴィスコンティ、マイケル・チミノ、黒沢明など)の映画は時々見たいなとか、ジブリの映画は何度か繰り返しみたいなと思う程度である。
 音楽好きの人にとっては、同じ曲、同じ演奏家の演奏や歌を聴き、心の高揚や癒しをはかっている人がいることであろう。昔友人から、落ち込んだ時はグールドのピアノ演奏(確かモーツアルトの曲だと思うが)を聴くという話を聞き、私と教養が違うなと感心したことがある(彼から、グールドのレコードを1枚プレゼントされたことがある)。江藤淳や村上春樹のエッセイを読んでも、クラシックやジャズの音楽や演奏に関する関する記述が多い。私の場合、そのような音楽の教養やセンスがない。