吉本隆明の本で印象に残っていること

私も若い時、同時代の他の人と同様、吉本隆明の著作をたくさん読んだ。今その中で印象に残っていることを思い出すと、3つくらいのことがある。1つは、吉本が壇の上から講演をしていたいたら、下でヤジを飛ばす輩がいた。吉本は腹に据えかねて壇を降り、その輩と殴りあったというエピソードである(確か『情況』)。ここには当時の大学教授など知識人が偉そうなことを壇上から述べるだけで、壇を降りて行動しようとしないことへの批判が込められていたように思う。2つ目は、雑魚取りの網を持つもの(「雑魚・ザコ」)が、身を弁えず大きな魚を獲ろうとする愚かさを指摘していたものである(多分「著作集」のどこかあった)。有名になった芸能人が偉くなった気で、政治的社会的な発言をする愚かさを批判してのことだと思う(今はそれが当たり前になっているが)。3つ目は、芥川龍之介の自殺が時代思想的なものではなく,作家として生き詰まった文学作品的な死であるという指摘。芥川は、抜群の能力により出身の下層階級から上の階層に飛翔したが、育ちと違う階層の文化に耐えられず、創造力が枯渇して地に落ちたという解釈である。

第3のことが一番心に残っていて、私は教育と社会移動のことを学生に説明する時、使ったりしているが、最近読んだ本で全く同じところ(芥川の出身階層をめぐる葛藤)に注目している人がいて驚いた(鹿島茂『吉本隆明1』平凡社、2009)。育ちや育った時代がほぼ同じなのであろう。ただ、一つ気になるのは、このような時代的な出身階層の話は、今の若い世代に、うまく伝えられないのではないかということである。今は格差社会と言われながら、皆ある程度豊かな中流の生活を送っている中で、社会階層の移動や葛藤の話はピンとこないのではないかとも思う。

吉本隆明の文章を読んでいていつももう一つ感心したことは、ものごとの核心を短い言葉で的確に言い当てることである(キャチコピーのよう)。たとえば、「倫理的な痩せ細り方の嘘くらべ」*という言葉など。これは「良心と倫理の痩せくらべをどこまでも自他に脅迫しあっている」左翼を痛烈に批判した言葉だと思う。これは、今でも左右に限らず、またマスコミでも多いように思う。

*「着たきりスズメの人民服や国民服を着て、玄米食と味噌と食べて裸足で暮らし、24時間一瞬も休まず自己犠牲に徹して生活している痩せた聖者の虚像が得られる。そしてその虚像は民衆の解放のために、民衆を強制収容したり、虐殺したりしはじめる」(『情況へ』宝島、1994=鹿島pp.417-9