会話の楽しみ

 「会話の根っこは、話す/聞く、の繰り返しによるリズムと転調自体にあって、話されている事柄は会話の端緒のコードに過ぎないかもしれない」
「言葉をとり交わすことは、互いの内面を侵食し合うエロティックな行為で、 終わりのない、果てしなく展開し漂う触れ合い(会話)の快楽」
 (朝吹真理子 書評「松浦理英子 奇貨」 読売新聞・2012年12月9日朝刊)

この文章を読んで、会話に関して思いを馳せた。
私たち大学教員は、学会や研究会が好きで、また会議が好きで、講義より学生との会話がある演習(ゼミ)を好み、飲み会もよく開き、多くの時間を会話で過ごしている。
 議題が決まっている会議は退屈だが、大学教員同士の自由な会話は、会話の背後に多くの(読書に裏打ちされた)教養も感じられ、リッチな気分になる。(ただ、これは、別に大学教員である必要はなく、教養に裏打ちされた自由な思考の持ち主同士であれば、誰でもよい)。
 本を読む楽しみもあるが、それとは別の楽しみが会話にはある。われわれ人間は、生物的な欲求より、会話という社会的欲求の方が強いのかもしれないと、上記の文章を読んで思った。