positive thinking , negative thinking

野球の負けている試合で、9回裏、2アウト満塁で自分に打順が回って来たら、どのように感じるのであろうか。
A まずい。これでヒット打てなければ、負けてしまう。どうしよう。
B ラッキー。絶対に自分がヒットを打って、チームに勝ちをもたらしてやる。

この気持ちの持ちようが、後へも響く。もしヒット(もちろんホームランでもよい)を打てれば、Bの場合自信の強化につながるが、Aの場合、「失敗しなくてよかった」と思うだけで自信の強化にはならない。ヒットを打てなかった場合、Bは、今回はうまく打てなかったけれど次回打てばいいとめげない。Aは、自信をなくし、落ち込む。
Bがポジティブ・シンキング、Aがネガティブ・シンキングであろう。ただ、BがよくてAはよくないとは言えない。

今年の名古屋大学で開催された日本教育社会学会の大会で、多くの人が集まり熱気に溢れている部会があった。それは発表もよかったが、司会のIさんの司会ぶりも鮮やかで、短い的確なコメントと進行で、さすが旬な研究者は違うなと感心した。Iさんは若手の教育社会学の理論家で、研究者を唸らせる論文をたくさん書いている。
そのIさんが、ブログの中で、今回の教育社会学会での司会がうまくいかず、何日か落ち込んだと書いていて、びっくりした。

<夕方の部会で司会をやったのだけれど、これはご発表のベクトルがうまく合って、すごく噛み合うはずの、しかもバトルが起こるはずの顔合わせになっていて、司会的にはぜひそのバトルが見たくてご発表の先生方にも時間厳守をお願いし、先生方もきちんと発表時間を守ってくださって (中略)ところがそれなのに、肝心の総括討論の司会の切り回しが失敗して、うまくバトルが成立しなかったばかりか、ここに質疑が集中するだろうと予測していた調査研究のご発表に意外にも総括討論のときの質問がないまま時間が来てしまい(たぶんきっちりした調査で逆に質問を誘発しにくかったのかもしれないとあとでは思う。だからそのために司会というのがいるはずなのに、あたふたして何もしなかったのである)、司会のせいでご迷惑をおかけすることになってしまった。それで、どうにもうなだれながら会場を去り、ものすごい勢いで肩を落としため息をつきよろめきながら電車に乗り新幹線に乗り、また電車に乗り換えたあたりでなぜか部活遠征合宿帰りの学生にばったり出くわしたりしつつ、わけもわからずよろよろと帰宅。一週間ぐらいは夜寝るときも思い出してはうなされた。後日、その調査研究が『教育新聞』で紹介されていて - 記事による要約のしかたは発表のポイントを外しているように感じるけれど - 少し気持ちがおさまった。>(http://www2s.biglobe.ne.jp/~ishitobi/#new)

ネガティブ・シンキングは、謙虚さとも結びつくのかもしれない。それならば、好感が持てる。逆にポジティブ・シンキングは、傲慢さと結びついているのかもしれない。