藤原新也の「書行無常展」に行く

今日は、放送大学に行って帰り、時間が少しできたので、「写真・言葉・書で時代を飾る 藤原新也の現在 書行無常展」を、大雨の中一人で見に行ってきた。場所が分かりにくく、地下鉄「湯島」より徒歩3分のところ30分近くかかった。
入り口のところで、ちょうど外に出て行く人がいて、目も会い、藤原新也に似た人だなとは思ったが、オーラもなく普通のおじさんのような雰囲気なので
半信半疑で、受け付けの人に聞いたら、やはりそうだった。
展覧会の方は、広い体育館のようなところに、大きな書や写真が掲げられていた。中は、中国、日本、印度、三陸円顔行脚、福島桜、死ぬな生きろの6つに分けられ、大きな写真と書が飾られていた。
私は長年藤原新也のファンで、「私淑」していると言ってもいいくらいだが、
藤原新也と近づきになりたいとはあまり思わない。適当な距離をとり、遠くから眺めているくらいがちょうどよい。(でも、気のきいた会話が、一言二言交わせれば、よかったのに、と悔やまれた)
書と写真に関しては、私はセンスが零(ゼロ)なので、多くの人が「感動した」「涙が流れて仕方がなかった」とノートに記帳していたが、私はとりわけ
感 銘を受けなかった。「ホームページで見た写真や書だな」というくらいの感想であった。三陸の津波の後の鎮魂の地蔵(円顔)を描いた写真も、ブログで見て 知っていたので、特に感動もしなかった。その中では、若い女性を抱き、その髪で書した「人間書道」は、「艶めかしく」(?)凄いなと思った。
藤原新也の撮った写真集は何冊か持っているが、そのよさは私にはよくわからない。ただ、数年前、大丸でデパートで開かれた藤原新也の写真展は、色の綺麗(というよりは鮮やかな)写真が多く、何か強く訴えるものを感じた。
今回も、何かを感じることを期待して行ったが、それは得られなかった。その原因は、藤原新也や展覧会の側に原因があるというよりは、私の方の感受性のなさや、ネットでの既視感が原因かもしれない。

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