現代学生考

教育関係者向けに週2回発行されている「内外教育」(2019年10月8日)に、下記のような短い文章を書いた(タイトル 「現代学生考」)。

これまでいくつかの大学で学生に接してきた経験から、大学と大学生に関して考えてみたい。自分の場合は、受験勉強を終え大学に入学して受けて授業はさっぱり心に響いてこなかった。それで大学の授業を諦め、大学外に知の源泉を求めた(読書等)。

 1970年代後半に大学教師になり学生に接してみると、大学の講義への出席率は3割程度と低く、大学生活の中心は友人関係とサークル活動であった(スキー、テニス、マージャンは定番)。学生たちは厳しかった受験競争の疲れを4年間のモラトリアムの期間に取り、企業戦士として社会に出ていった。企業も受験学力は評価したが、大学教育には何の期待もしていなかった。

 1990年代以降になると、大学の授業改革が進み、「大学の学校化、学生の生徒化」が進行して、学生たちは素直になり、授業への出席率は急速に高まった。学生たちは大学の授業から何かを学ぼうと考えたのであろう。情報化社会になり情報量が膨大となり学問が高度化しているので、どの分野でも基礎的な部分は大学で学ぶ必要が生じた。それで知識は大学の授業から得るもので、大学外から学ぶという意識は薄れていった(読書の習慣がなくなった)。

 『キャンパスの生態誌』(潮木守一、中公新書1986)によると、大学には、「自動車学校型」「知的コミューン」「予言共同体」、の3つがあるという。現代の大学をみていると、この3つが薄められた形で存在していることを感じる。資格試験や採用試験に向けての知識技術の習得(自動車学校型)、ゼミや演習の必修化(知的コミューン)、主体的関与や行動を推奨するアクティブ・ラーニング(予言共同体)。さらに、幼い頃からのデジタル環境の影響(スマホとゲームの世界への耽溺)と社会的貧困からくるアルバイト生活が加わる。

これらをバランスよく配置し、大学生活を送ることが今の大学生に求められている。大学生活満足度は年々上昇していることから、それは成功しているのであろう。ただ、学生の批判精神が薄れていることが気がかりである。

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