母の文化―「教育原論」第4回の冒頭の記録

 前回(4月27日)は、親子関係の話をしました。これは皆さんが今の親子関係を考える上でも、また親になった時でも、教師になって子どもの親子関係を考える時に必要なことかと思います。
 母と父では役割が違い、父は「切断する」(良いことをしたら褒め、悪いことをしたら叱る)のに対して、母は「包み込む」(どんなことをしても許してくれる)というところがあります。
 この二つ(父と母)は対立というよりは違うもので、その両方が必要のように思います(長方形の縦横の面積のように。この面積の広い人が、人格的にもバランスの取れた人のように思います)。また、母の愛のないまま育つと、人への信頼感を持てず、冷たい人に育ってしまうように思います。人のあたたかさは、母の愛に比例するのでしょう。
 またこれは、実際の父母でなくてもよくて、実際は父母の役割が逆転したり他の人が取って代わってもよいものです。幼くして里子に出された夏目漱石や幼くして母を失った江藤淳が人間的にあたたかいのは、母に替わる人がいたからだと思います。
 
 日本は、母なる文化の国で、西洋は父親的な文化の国だと言われています。
 文化人類学者のベフ・ハルミの子育ての日米比較や、江藤淳の『成熟と喪失―母の崩壊』の冒頭部分をコピーして配り、その説明をしました。
 前回読んでいただいたシルバスタイン著・村上春樹訳の「大きな木」も、母の子に対する無限の愛のように読めます。

 これは今日の追加の資料ですが、江藤淳の『成熟と喪失―母の崩壊』の中に、遠藤周作の小説『沈黙』に関する解説があり、キリストの絵を踏む主人公が父なる神を信仰しているというより、日本化した母なるキリストを踏み(裏切り)、その許しを乞うという日本的な物語になっているという秀抜な読みがあります。それだけ、日本には母の文化が蔓延しているのです。

 さだまさしの「生まれた理由」という曲が我々の心を打つのも、そのような母の文化の歌と聞くことができる為と、私は思います。(2016年7月24日のブログ参照)

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