日高六郎氏のこと

社会学者の日高六郎氏が、101歳で最近亡くなったというニュースを新聞で読んだ。1960年に東大教授になり1969年に東大紛争での機動隊導入に抗議し、教授を辞職したという経歴の社会学者。氏は東大の新聞研究所の教授だったので、私は授業を受講したことはないが、岩波の市民講座の氏の話しを聞きにいったことがある(その時の話は取りとめもなく、少し期待外れであったが)
福武直・日高六郎著『社会学-社会と文化の基礎理論』(kappa 1952)という社会学の入門書は、とても優れたもので、私は社会学の面白さをこの本から知ったように思う。
作田啓一が、「日高六郎論」という秀抜な論を「思想の科学」の1965年7月号(『恥の文化再考』1967年筑摩書房に再録)に書いており、それに導かれて氏の著作(『現代イデオロギー』や『日高六郎教育論集』一橋書房、1970年)を読んだように思う。
作田啓一は日高六郎の立場について2つ指摘している。「第1は情緒や実感のような、もっとも個人的な内奥の経験を『開いた社会』の普遍的原理と結びつけるという特徴、第2の特徴はこの両者を結びつけるさいに用いられる媒介の論理である」(前掲234頁)
日高氏の社会学は、ミクロ(個人)とマクロ(社会)を結びつけ、社会運動にも多くの発言をし関わっている。日本の社会学に大きな影響を与えた人の一人である。

これは確かな情報ではないが、日高六郎氏が東大の教育学部教育社会学コースの助教授として赴任するという可能性もあったと聞いたことがある。そうなっていたら、今の日本の教育社会学の状況も違っていたに違いないと思った。(それほど、当時の東大教授の影響力は大きかった)。
私は教育社会学コースの指導教授の清水義弘先生より、「福武直、日高六郎、清水義弘の3人は、終戦数年前の東大社会学で学年は1年違いでそれぞれトップだったが、自分(清水)だけが数年も軍隊に行かされ学問に打ち込むべき大切な時期を棒に振った」と悔しそうに話すのを何度も聞かされた。清水先生はその悔しさをバネに、日本の教育社会学を社会学に負けない水準のものにしようと頑張ったのではないか、と私は感じている。

 以下、新聞記事からの転載
<ベトナム反戦運動や安保闘争をはじめ、平和や人権、公害問題などの幅広い分野で論陣を張り、戦後の市民運動をリードしてきた社会学者の日高六郎さんが6月7日午前、老衰のため、京都市左京区の施設で死去した。101歳だった。
戦後すぐ論壇に登場した。東大助教授を経て1960年に教授。戦後民主主義と憲法擁護の立場から60年安保改定の問題点を論じたほか、ベトナム反戦の国民行動を呼びかけ、革新市民運動を実践してきた。ドイツの社会心理学者エーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」を訳したことでも知られる。69年に東大紛争での機動隊導入に抗議し、教授を辞職した。それ以降は、主に評論家として反戦、教育、公害、人権問題などに取り組んできた。>(朝日新聞 2018年6月7日朝刊より一部転載)

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