日本人論について

昔読んだ日本人論について思い出した。その一つが「うちとそと」論。もう一つが自我構造論。
日本人にとっては、①うちとそとの境界がとても大事である。②うちとそととの境界は流動的である、③そとの人でも中の人の紹介があればうちに容易に入れるというものである。
 西洋人は、個人主義で、個人と個人以外との境界がはっきりしていて、状況に応じた「うちとそと」の区別はしない、個人も大事だが、誰に対しても公平平等に扱い、贔屓はしない(普遍主義)。日本人はうちの人に対しては、特別の配慮をする。 
 夫婦の関係について、これを当てはめて考えると、日本人の場合、夫と妻でかなり意識が違うのではないかと思った。
 夫(男)の方がうちとそと意識が強く、妻(女)の方はそれが弱い。妻の方が個人主義という傾向があり、それが原因で、夫婦間でかなり心の行き違いがあるのではないか。
 日本人の夫は自分の妻を最もうちの人と思い大事にするが、同時に自分と同じなので気を遣わず、そとの他者に気を遣う。それに対して、うちとそととの意識の薄い妻からすると、夫の自分への気遣いの少なさを、(夫の「うち」意識の強さとは取らず)、自分への気遣いや愛情のなさと解釈する。「よその人(他者)に気を遣い、自分のことを気遣ってくれない(守ってくれない)愛情のない夫」というように。(夫は妻を自分に一番近い人と思っているのに)
もう一つは、自我構造の違い。
個人主義で、がっちりした自我の構造(殻)をもっていている西洋人(固い殻のついた生卵にたとえらる)。それに対して、個人主義が確立していなくて、状況に応じて自我がへこんだりでっぱったりする(ふにゃふにゃな)自我構造(殻をむいた半熟卵にたとえられる)の日本人。(『日本人=〈殻なし卵〉の自我像』 (講談社現代新書) – 1977/8 森常治 )
ただこれは日本の男性に多く、女性は少し違う。日本の女性は、本人は自立しているわけではないが、西洋の個人主義に憧れ、自我の確立した西洋人に魅かれる。(江藤淳が『成熟と喪失』の中で、小島信夫の『抱擁家族』の夫婦について述べていることは、これにあたる)
 日本そして日本人もどんどん西洋化しており、日本人論のあてはまる部分が少なく、日本人論は廃れてしまっているが、少しは当てはまるところは残っているような気がする。

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